2020年09月09日

空海の生涯年表

kukai-photo.jpg

774(宝亀5)年(1歳)  護岐国多度郡屏風が浦(びょうぶがうら)で誕生したと云われている。
幼名「 真魚(まお)」。父は佐伯直、母は阿刀連。その三男。

788(延暦7)年(15歳)  都(奈良)に出、母方の叔父阿刀大足(あとのおおたり)について、論語、孝経等を学ぶ。
阿刀大足は桓武天皇の皇子伊予親王の侍講(家庭教師)。

791(延暦10)年(18歳)  大学の明経科に入学する。

792(延暦11)年(19歳)  大学で学ぶ儒教に自分の求めるものは無いと思い、やがて仏の教えを目指すようになり、大学を中退する。
阿波の太龍ケ嶽(大龍寺山)や土佐室戸岬の御蔵洞などで修行する。御蔵洞の修行で眺めた風景から「空海」と名乗る。

797(延暦16)年(24歳)  日本で初の儒教・道教・仏教の比較思想論『聾瞽指帰』を著す。

804(延暦23)年(31歳)  4月9日、東大寺戒壇院で具足戒を受けて得度する。
留学僧として遣唐船で入唐する。駆け出しの空海とは対照的に、高位僧だった最澄もいた。
船は難破し、漂着後は海賊と疑われて50日間の拘束に遭う。疑いが晴れて、12月23日に長安に入る。

805(延暦24)年(32歳)  醴泉寺のインド僧・般若三蔵や牟尼室利三蔵に師事。梵語や婆羅門の教えを学ぶ。
青龍寺の恵果和尚につき、胎蔵界、金削界、伝法阿閣梨の灌頂を受ける(免許皆伝にあたる)。
「遍照金剛」の灌頂名を授かる。
 ・長安留学期を脚色した『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』

806(大同元)年(33歳)  10月帰朝、九州の太宰府に滞在。
「御請来目録」を朝廷に奉進。空海が請来したものは「御請来目録」に記載されたものだけで、新訳の経論等216部461巻、両部大曼荼羅や法具、阿闍梨付属物等々に及ぶ。

809(大同4)年(36歳)  最澄から密教経典12部55巻の借覧要請。

816(弘仁7)年(43歳)  嵯峨天皇から高野山を下賜される。
 ・紅葉映える高野山を来訪!  ・宗派別 仏教系大学一覧

817(弘仁8)年(44歳)  修禅の道場として高野山開創に着手。

818(弘仁9)年(45歳)  初めて高野山に登る。

821(弘仁12)年(48歳)  弘仁9年に決壊し復旧がままならなかった満濃池の修築をわずか3ヶ月ほどで終える。全国各地に伝わる弘法大師の「水伝説」の源と考えられる。

823(弘仁14)年(50歳)  東寺を賜る。

825(天長2)年(52歳)  東寺講堂建立。

827(天長4)年(54歳)  大僧都に任じられる。

828(天長5)年(55歳)  役人以外でも入れる学校、綜藝種智院を東寺の東側に創設。日本で初の辞書を作る。

835(承和2)年(62歳)  3月21日寅の刻、高野山で入定。921年(延喜21)年に「弘法大師」の諡号が贈られる。


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ラベル:生涯年表 仏教
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2020年09月01日

『ブラックパンサー』主演俳優、ボーズマンが病死

Black_Panther.jpgマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の第18作目『ブラックパンサー』(2018年)。その主演俳優
チャドウィック・ボーズマンが結腸がんのため、43歳の若さで死去してしまいました。かなり面白い映画だっただけに残念。
(´;ω;`)

本作は、アフリカにあるワカンダ王国という架空の国が舞台。ワカンダは未開の部族と思いきや、実は超絶テクノロジーを有しており、普段は国全体にバリアを張って存在を隠しています。所有しているバトルスーツ、戦闘機、医療技術など、どれも未来のレベル。

同時に、アフリカの文化や歴史もテーマにしており、黒人が今なお直面している貧困や差別問題にも言及しています。

実際、制作スタッフ、キャストともに大部分が黒人で、彼らの才能と誇りを結集させて「アフリカン文化とは何か?」を作り出した映画と感じました

Black Lives Matterに揺れる今に最適な映画ともいえますが、主人公を演じた俳優が病死してしまうとは残念無念。(>_<;)


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ラベル:訃報
posted by すぱあく at 01:15| 映画・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月23日

アルゼンチンが9度目の債務不履行(デフォルト)に!!

argentina01.gif5月22日、アルゼンチン債務不履行(デフォルト)に陥りました。実質的な国家破綻です。同国のデフォルトは9度目で、もはや恒例行事のようになってしまっています。コロナ禍の影響もあるでしょうが、数多くある理由の一つにすぎなさそうです。

アルゼンチンには行ったことがないし、マラドーナやメッシを象徴とするサッカーが強いというイメージぐらいしか知りませんでした。

日本経済も低迷して長いですが、「よもやアルゼンチンみたいにはなるめぇ〜」と高をくくっていましたが、同国のことを少し調べてみると驚くべきことを知ったのです!!!



「アルゼンチン、かつては先進国だったんですよ!」

(゚Д゚)ハァ? えっ、そうなの? そうだったの?


argentina02.png『母をたずねて三千里』(1976年)というとても有名なアニメ作品があります。舞台は130年前。イタリアのジェノバで暮らすマルコ一家の生活は苦しくなる一方。夫の借金を返済するため、マルコの母は出稼ぎに行くことに。

その行先がなんとアルゼンチンなのです!!!

★外部リンク 日本アニメーション


南米の多くは大航海時代の覇者スペインが植民地として開発していった地域でしたが、1816年にアルゼンチンとして独立。
 ・さかのぼりスペイン史3 長く続く混乱の時代へ

その後急速に発展し、20世紀初頭の首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれるほど繁栄。世界中から人が集まる国際都市であったそうです。・・・し、信じられん。

しかし第二次世界大戦後、軍政やテロや新規産業の創出失敗などが続き転落。今のようなトホホな状態になったそうな。


先進国が途上国に転落する。この事実に、背筋が凍る思いになりました。日本がアルゼンチンのようにならないと誰が言いきれるでしょうか?

コロナ禍に対して政府の打ち出す政策の内容、スピード感、いずれも国民を失望させています。特別定額給付金でも、オンライン申請はまったく役立たずで、郵送や書類確認といったアナログ作業をやる始末。その結果、遅れに遅れているのが現状です。この惨状を見るにつけ、日本の将来も決して明るくはないなと思ってしまいます (>_<;)

もしも日本がアルゼンチンのデフォルトを他人事と考え、創意工夫、試行錯誤を怠れば、転落するのもあっという間のような気がします。


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2020年04月02日

『BLEACH』de 英語・中国語フレーズ

bleach_aizen.jpg


・・・あまり強い言葉を遣うなよ。弱く見えるぞ

Don’t use such strong words. It only makes you look weak.

不要使用过分的用词。看起来很虚弱



一応この国のトップということになっている安倍という人は、第1期政権(2006年)のときから言葉遊びが好き。

「美しい国ニッポン」
「問題の究明は徹底的にやる」
「一億総活躍社会の実現」
「女性が輝く日本」
「かつてない規模の経済対策をとりまとめる」

でも、あんまり大言壮語は言わない方がいいと思うんだよね。所詮はマスク2枚なわけだし・・・。

愛染さんに言われちゃいますよ。「弱く見えるぞ」って。


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2020年03月29日

展示手法がポップなプラハの「共産主義博物館」

新型コロナウイルスの影響でしばらくは海外旅行に行くことはできないと思いますが、もしも、いずれチェコ共和国の首都プラハを訪れることがあれば、ぜひ立ち寄ってほしい施設があります。
それが「共産主義博物館」公式サイト)です。

(○´∀`)ノ「共産主義だって?誰がそんなマニアックなところに行くんだよ!」と突っ込まれそうですね。たしかにプラハ城やカレル橋、旧市街広場、ストラホフ修道院などなど、百塔の都には見所がいっぱい。何を好き好んで、暗い時代の遺産である「共産主義」を見に行かなくてはならんのだと思うでしょう。

でもね。ぜひ騙されたと思って行ってみてください。私も友人に勧められて行きました。展示手法がとてもポップなので、誰でも楽しめるはず。実際、若い人も結構訪れていました


communism01.JPG●規模は小さいながら、貴重な展示物が豊富
共産主義博物館はプラハの中心街から近く、火薬塔や市民会館などの名所がある共和国広場に面しています。1階にスーバーBILLAがある白い建物で、入口で380コルナ(約2000円)払って2階に上って入場します。うーん入場料、結構高いな ((+_+))。クレジットカードOK、ユーロは不可です。

さて博物館に入ると、いきなり入口からデデーン!!と
ビッグな赤い星とマルクス像が出迎えてくれます!! 
運営者は絶対に狙って展示していますよね、コレ。(;^ω^)

この博物館はアメリカ人実業家が私財で開設した経緯があるため、政府系博物館のような堅苦しさがありません。そのため、こういう冗談なのか本気なのかわからない展示がいくつもあって面白いです。

そもそもチェコ人にとって共産(社会)主義時代(1948年〜1989年、当時の国名はチェコスロバキア)は重苦しい思い出しかなく、本来ならば忘却したい時代のはず。しかし、このポップな展示手法によって重苦しさは中和されており、楽しみながら過去の歴史を学ぶことができます。

下は館内の様子。若い人が多く見に来ていることに驚きました。こちらのコーナーでは共産主義時代のレジャーやスポーツについて展示・説明しています。旧ソ連を筆頭に共産主義陣営は、アメリカなどの資本主義陣営に対抗するためスポーツを国威発揚としてよく利用していました。

communism02.JPG


写真左下は共産主義時代の教室を再現したもの。
写真右下は国境警備の様子。もしも国境を越えて資本主義諸国に行くヤツを見つけたら、
そのときは容赦なく・・・(((( ;゚Д゚)))
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●迫真の資料多数、「プラハの春」&「ビロード革命」
写真下は1968年に起こった「プラハの春」を象徴する一枚の写真。ソ連軍の戦車がプラハの街を制圧した一コマです。
1968年4月、共産党第一書記になったドプチェクは「人間の顔をした社会主義」を掲げ、「プラハの春」と呼ばれる改革運動を実施。検閲の廃止などを行いました。この改革に、それまで抑圧されていたチェコスロバキア国民たちが大いに期待したのは、言うまでもありません。

ところが8月、ソ連軍主体のワルシャワ条約機構軍が軍事介入し、チェコスロバキア全土を制圧してしまいます。ソ連の圧力でドプチェクは辞任に追い込まれ、「プラハの春」は崩壊。チェコ国民は、再び絶望的な時代を生きるはめになったのです。
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そうした長く暗い時代にも、ついに終止符が打たれるときがやってきます。まず大ボスであるソ連にほころびが出始め、1985年にペレストロイカと呼ばれる政治改革が始まります。そして1989年11月、ベルリンの壁が崩壊。その後は堰を切ったように、目まぐるしく状況が変化。中欧・東欧のほとんどの共産主義陣営が、共産党一党独裁を放棄しました。

チェコスロバキアでも民主化を求めるデモが相次ぎ、ついに12月、共産党政権が打倒されます。この革命は大きな流血に至らずに成し遂げられたため、軽く柔らかなビロード(ベルベット)の生地にたとえて
「ビロード革命」と名付けられました。

写真下は「ビロード革命」の中心人物となったヴァーツラフ・ハヴェル(1936年〜2011年)です。劇作家として大成しましたが、「プラハの春」崩壊後に反体制運動の指導者として活動。何度も当局に逮捕・投獄されながらも「ビロード革命」を成し遂げ、大統領に就任します。
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この他、館内には映画室もあり、ビロード革命時のプラハの様子が上映されています。デモ隊を威嚇する警官たち、それに抵抗する民衆たちの姿。当時の息遣いが感じられて鳥肌が立ちます

またお土産コーナーでは、共産主義を礼賛した当時のプロパガンダ・ポスターなど、ネタ好きにはたまらない逸品が売られています。

そして極めつけはコレ! レーニンとスターリン像なんとトイレの横に置かれているんです。共産主義なんてもうこりごり、「お前らなんて、便所がお似合いだぜ! (# ゚Д゚)」というメッセージなんでしょうか?
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(;^ω^) とっ、とにかく共産主義博物館オススメですよ!


外交官として実際に「プラハの春」に直面した経験に基づいて書かれた小説。宝塚歌劇にもなりました。

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ヴァーツラフ・ハヴェル大統領が書いた世界に向けたメッセージ

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2020年01月03日

モーツァルトの生涯と代表作品

mozart.jpg天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは35年と短い生涯ながら、626曲もの楽曲を作曲しました。そんな天才の生涯を駆け足で見て行きます。

1756年(0歳)
1月27日、神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教領で誕生。父レオポルトはヴァイオリニストで、ザルツブルクの宮廷作曲家としてすでに名を成していました。父は息子が天才であることを見出し、幼少期から音楽教育を施します。3歳でチェンバロを弾き始め、5歳で『アンダンテ ハ長調 K.1a』(YouTube)を作曲したほどの神童ぶりでした。
 ・ザルツブルクでモーツァルトの足跡を巡る


●音楽教育、就職活動を兼ねた欧州旅行
父は息子の神童ぶりを各国の宮廷に披露するために、国外旅行を何度も行いました。

1762年(6歳)
第1回ウィーン旅行。10月13日、シェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの御前で演奏。その際、モーツァルトは宮殿の床で滑って転んでしまいますが、7歳の皇女マリー・アントワネットに手を取って助けてもらいます。お礼に「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげるね」と言ったそうです。
 ・超ざっくりハプスブルク家の歴史を紹介!(中編)


1763年 - 1766年(7 - 10歳) パリ・ロンドン旅行。
1767年 - 1769年(11 - 13歳) 第2回ウィーン旅行。
1769年 - 1771年(13 - 15歳) 第1回イタリア旅行。
1771年(15歳) 第2回イタリア旅行。

1772年(16歳)
8月21日、新任のコロレド大司教より、ザルツブルク宮廷のコンツェルト・マイスターに任命される。

1772年 - 1773年(16 - 17歳) 第3回イタリア旅行。
1773年(17歳) 第3回ウィーン旅行。
1774年 - 1775年(18 - 19歳) 第4回ウィーン旅行。


18世紀の時代にこれだけの旅行をしていたのですから、モーツァルト父子とんでもないです。渡航費が工面できるほどレオポルドの名声があったこと。父が子ヴォルフガングに相当の期待をしていたことがわかります。

モーツァルトは16歳でザルツブルクの宮廷音楽家に就職していますが、できれば首都ウィーンやその他大国の宮廷にキャリアアップするのを目指していました。しかし、どれもいい結果につながりませんでした。
今でこそモーツァルトは人類史上頂点に位置する音楽家ですが、当時は有力音楽家たちが占めていたポストに食い込めませんでした。モーツァルトのような天才でさえも「現実の壁」がいかに険しいかわかる話です

この頃の作品のひとつ、『ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219《トルコ風》』(YouTube)。


●仕事のやりがいと上司に悩む
前々回でも述べましたが、ザルツブルクは聖職者の大司教が塩の利権を独占し、王のように君臨する珍しい領邦でした。コロレド大司教はモーツァルトにとって君主であり、宮廷という職場においては社長のような存在でした。そして、この上司とはことごとく馬が合わなかったことで有名です。

コロレド大司教はミサ典礼における大がかりな音楽を禁止し、ひたすら厳格な宗教音楽を求める上司。かたや自己表現をしたくてたまらない天才肌の部下。合うはずがありません (;^ω^)

1777年(21歳) 9月1日、父子そろってザルツブルク宮廷から解雇され、父レオポルドはショックで寝込みます。
モーツァルトは次の就職口を探すことも含めて長期旅行を計画。今回は父の代わりに母アンナが同行することになりますが、レオポルドにとってこれが妻との最後の別れになってしまいます。

この頃の作品のひとつ、『ミサ曲 第12番 ハ長調 K.262(ミサ・ロンガ)』(YouTube)。


●就職活動失敗とザルツブルク帰郷
母子は西に移動し、ミュンヘン、アウクスブルク、マンハイムへ移動します。当時、マンハイムの宮廷オーケストラは、ヨーロッパ随一のものでした。ここで演奏会に出演して成功をおさめたものの就職活動は成功せず、パリへ向かいます。

マンハイム滞在時の作品のひとつ、『フルート協奏曲第1番ト長調 K.313(285c)』(YouTube)。


1778年(22歳) 3月〜9月までパリ滞在。就職活動は散々な結果で、7月3日には同行した母がパリで病死。失意のドン底に。

パリ滞在時の作品のひとつ、『交響曲第31番 ニ長調「パリ」K.297』(YouTube)。


1779年(23歳) ザルツブルクに帰郷。復職していた父の尽力で、1月25日宮廷オルガニストとして復帰。仕事はありがたいけど、クソ上司・コロレド大司教の下で働くストレスMAXな日々の再開。

この頃の作品のひとつ、『ミサ曲ハ長調 K.317 “戴冠式ミサ”』(YouTube)。


●ブラック企業を退職し、ウイーンでフリー作曲家に転身
1780年(24歳) バイエルン公国から依頼されたオペラ『クレタの王イドメネオK.366』(YouTube)作曲・演奏のためにミュンヘンに滞在。長期出張で久々の息抜き。

1781年(25歳) ウィーン滞在中のコロレド大司教に呼びつけられ、モーツァルトもウィーンへ。そこで二人の対立が激化し、解雇されます。もうザルツブルクには戻らない決意をし、ウイーンでフリー作曲家としてスタートを切ることに。

この頃の作品のひとつ、誰もが知っている『きらきら星変奏曲』ハ長調 K. 265(YouTube)。


●独立、結婚、そして売れっ子へ
1782年(26歳) 独立したてで不安定な状況のときに、舞い込んだ仕事、オペラ『後宮からの誘拐 K.384』(YouTube)を作曲。7月、ウィーンで初演。
8月3日、コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚。

1783年(27歳) ザルツブルクに帰郷。6月、第1子誕生するもザルツブルク旅行中に死亡。
この頃の作品のひとつ、『ピアノソナタ第11番』<第3楽章が有名なトルコ行進曲>(YouTube)。

1784年(28歳) 第2子カール・トーマス・モーツァルト誕生。
12月14日、陰謀論でお馴染みのフリーメイソンの慈善ロッジ(ウィーン)に入会。死去するまで熱心な会員で、後に父レオポルドとハイドンも勧誘して入会させてます。フリーメイソンのための作品を10曲も書きました。
そのひとつ、『フリーメイソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477』(YouTube)

1785年(29歳) 弦楽四重奏曲集をハイドンに献呈(「ハイドン・セット」)。ハイドンは24歳年上の先輩ですが、二人は技量を認め合い、親友となります。
ハイドン・セットのひとつ、『弦楽四重奏曲第14番 ト長調 K. 387』(YouTube)。

1786年(30歳) 5月1日、オペラ『フィガロの結婚』K.492(YouTube)をブルク劇場(ウィーン)で初演。年末にはプラハで公演し大ヒット。


●プラハでの熱狂的な歓迎と父の死
1787年(31歳) 1月11日にプラハに招待され、1ヶ月以上滞在。どこへ行っても大人気でした。1月19日、『交響曲第38番 ニ長調「プラハ」K. 504』(YouTube)を初演。
10月4日、2回目のプラハ訪問。10月29日、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』K.527(YouTube)をエステート劇場で初演。熱狂的に受け入れられました。

プラハのエピソードを描いた映画『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』(2017年)がこちら。

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mozart03.jpg4月、ボンからウィーンに訪れていた16歳のベートーヴェンがモーツァルトに会ったと推測されています。しかし、現代の研究でもまだ決定的な文書が発見されていません。ただ、手塚治虫は『ルードウィヒ・B』で、二人の出会いを描いています。
 ・まさに“ザ・手塚治虫”といえる遺作『ルードウィヒ・B』

5月28日、父レオポルト死去。

8月10日、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』(YouTube)作曲。国や時代を超えて、ほとんどの人が知っているモーツァルトの中で最も有名な曲。
『マリオブラザーズ』(1983年)のOP(YouTube)など、影響を受けた作品は無数。

1788年(32歳) 『第39番』『第40番』『交響曲第41番 ハ長調「ジュピター」K.551』(YouTube)の
いわゆる「3大交響曲」を作曲。


●増える借金、そして死
人気とともに浪費が激しくなる反面、演奏会では多くの収入を得られなくなり借金が増えていきます。モーツァルトの才能に恐れをなした宮廷楽長サリエリらのイタリア閥が、裏でモーツァルトの演奏会を妨害したとも言われています。この逸話を元に描かれた映画が『アマデウス』(1984年)です。

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1789年(33歳) 4月〜6月ベルリン旅行。すでに金欠が始まっていましたが、フリーメイソン仲間で貴族のパトロンが旅費を出してくれるというので気楽に同行しました。

1790年(34歳) 1月、オペラ 『コジ・ファン・トゥッテ』 K.588(YouTube)初演。

2月に神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世が逝去し、弟のレオポルト2世が即位。10月15日フランクフルトで行われる戴冠式にモーツァルトも同行します。そこで借金までして演奏会を開催し、
『ピアノ協奏曲26番 ニ長調 K.537「戴冠式」』(YouTube)などを演奏。一発逆転を狙いましたが、不入りで終わり逆に借金が増える始末。

1791年(35歳) 9月6日、レオポルト2世は兼任するボヘミア国王としての戴冠式をプラハで挙行。モーツァルトも同行し、『皇帝ティートの慈悲』K.621(YouTube)を初演。このときすでに体調を崩し、薬を服用していました。

9月30日、オペラ『魔笛』K.620(YouTube)初演。体調が11月から悪化し、12月5日ウィーンにて死去。

死去してから230年経った今でも彼の作品は色あせることなく、私たちの魂を癒し、奮い立たせてくれます。


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