2014年08月04日

司馬遼太郎 『功名が辻』

koumyou司馬遼太郎 『功名が辻』。司馬の作家キャリア初期に書かれた作品です。後に土佐藩初代藩主になる山内一豊(1545年〜1605年)の妻・千代が主人公。女性が主人公というのは、司馬作品には珍しいです。

千代は、史実では見性院(けんしょういん、1557年〜1617年)と呼ばれています。夫に馬を買わせるために大金を差し出すなど、良妻賢母のエピソードで有名です。この小説でも、千代の機転によって一豊が出世していく様子が描かれています。

2006年、この小説がNHK大河ドラマ化。千代は仲間由紀恵、一豊は上川隆也が演じました。脚本の大石静によって、以下のような感じで勤め人が共感できる作り方になっています。言わば「サラリーマン大河」といったところですね。
「株式会社豊臣秀吉」に入社した山内一豊。同僚の方が早く出世して焦ったり、悩んだりしますが、妻・千代の内助の功のおかげで、秀吉社長の覚えもめでたく順調に出世。後に「株式会社徳川家康」に転職。関ヶ原での働きが認められて、土佐24万石の大社長にまでなります。
しかし、土佐に社長として赴任してみると、旧来の「長宗我部カンパニー」の社員たちが、暴れていました。ついに一豊社長は、非情な決断を断行するのでした。


なお、大河ドラマ『功名が辻』の名場面として名高いのが、本能寺の変。舘ひろしが演じた織田信長が、銃をぶっ放すシーン。舘ひろしが持つと、火縄銃がショットガンに見える。大河のスタッフめ、狙ってやりおったな!!

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2014年08月03日

司馬遼太郎 『最後の将軍−徳川慶喜』

yoshinobu司馬遼太郎 『最後の将軍−徳川慶喜』。江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜(1837年〜1913年)の生い立ちから没するまでを描いた作品です。

徳川慶喜は、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の七男として生まれました。七男なので、幼名は七郎麻呂(しちろうまろ)。江戸で生まれましたが、すぐに水戸に移り、9歳まで藩校・弘道館で学びます。
水戸藩の藩校・弘道館に行ってきました!

1847年、御三卿・一橋家の養子となり、家督を継ぎます。その後、将軍継嗣問題を経て、1867年に江戸幕府15代将軍に就きます。しかし、時は幕末動乱の真っ只中。短い期間に、あらゆることが立て続けに起こります。同年10月には大政奉還が行われ、江戸幕府にピリオドを打つ役目となりました。

1868年1月、戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いでは、旧幕府軍が敗退し形勢不利になったと見るや、さっさと江戸を退却してしまいます。こうした行動もあって、幕末ドラマにおいてポジティブに描かれることがほとんどありません。

やはり一時代に幕引きする仕事って、汚れ役ですよね。倒産したとき涙を流して、「社員は悪くないんですっ」と言っていた山一證券の野澤正平社長を思い出してしまいました。


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本作を原作としたNHK大河ドラマ『徳川慶喜』(主演:本木雅弘、脚本:田向正健、音楽:湯浅譲二、1998年)。

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2014年08月02日

司馬遼太郎 『翔ぶが如く』

tobugagotoku02.jpg司馬遼太郎 『翔ぶが如く』。NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990年)の原作です。

薩摩藩士の西郷隆盛と大久保利通。強い友情で結ばれ、明治維新の中心的存在になっていく二人。しかし、新政府設立後に対立し、ついには西南戦争に発展してしまいます。

文庫本でなんと全10巻という大長編。征韓論→明治6年政変→各地で起こった不平士族の反乱→西南戦争までを細かく描いています。

大河ドラマでは、西郷隆盛を西田敏行が、大久保利通を鹿賀丈史が演じました。
原作には彼らの青春時代はありませんでしたが、第一部「幕末編」として追加されます。それに続いて第二部「明治編」の二部構成で描かれました。今ではお馴染みのこうした構成は、大河ドラマでは本作が初の試みになります。


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2014年08月01日

なぜ司馬遼太郎は戦中を舞台にした小説を書かなかったか

司馬遼太郎が、22歳のときからずっと考えていた「日本人とは何か?」を突き詰める思想の旅。
まずは幕末を明らかにし、そして明治、戦中と進めていくことで、なぜ武士道や礼節を重んじていたはずの日本人が、あんなに馬鹿げた戦争に突入していったのか、その理由を考える旅でした

その一歩である『竜馬がゆく』によって幕末が書かれ、次いで『坂の上の雲』によって明治が書かれました。
この2つの小説には共通の世界観があります。それは黎明期にある近代日本はまだ目覚めたばかりで右往左往しながらも、持前の忍耐力と勤勉性を持って進む明るい姿でした

その甲斐あり、1894年の日清戦争に勝利、次いで1904年の日露戦争にも勝利するという快挙を達成しました。
極東のちっぽけな島国が、中国とロシアという超大国を破ったのです。しかし、この快挙に国全体が熱狂し、いつしか分不相応な暴挙が日常茶飯事になっていきます。陰湿で凄惨な戦前・戦中の始まりでした。


ノモンハン事件に焦点を定めた司馬遼太郎
nomonhan.jpg明治の次はいよいよ戦中。司馬遼太郎にとって思想の旅の最終地点でした。「なぜ、私も含めて多くの若者が徴兵され、無駄に命を落としていったのか。当時の上層部はどうしてあんな馬鹿げた戦争に突入することを命じたのか」。司馬遼太郎が一番知りたい答えを明らかにする旅でした。

司馬が焦点を定めたのは、1939年に起こったノモンハン事件でした。事件当時は国民に極秘にされていたため、戦後に明るみになった事件。さらに、現代の歴史教育でもさらっと流すので、日本人のほとんどが知りません。なんだ?ノモンハン事件って?


取材をすればするほど鬱になっていく
ノモンハン事件は、表向きは満州国とモンゴルの国境紛争です。しかし、実質は傀儡国家を操る日本と、その日本のアジアでの膨張を危険視していたソ連との戦いです

ソ連軍は5万以上。それに対して日本軍は遥かに少ない兵力。しかも、ソ連軍との衝突を避けるべきという日本総本部の意向を無視した関東軍の暴挙。司馬遼太郎が敵視する上層部の愚挙として、格好のテーマと考えたのです
しかし、取材をすればするほど、鬱の状態になる司馬。当時の参謀だった人物は責任を取るどころか、国会議員にまでなっている現実。気が狂いそうになり、ついに「書かない」ことを決めます。

当時、編集者として司馬にノモンハン事件の執筆を提案した半藤一利は、下記のように司馬が言っていたと述懐しています。
調べていけばいくほど空しくなってきましてね。世界に冠たる帝国といい気になって、夜郎自大となった昭和の軍人を、つまりは日本そのものを、きちんと描くには莫大なエネルギーを要します。昭和12年に日中戦争が起こって、どろ沼化し、その間にノモンハンの大敗北があり、そしてノモンハンの敗戦からわずか2年で太平洋戦争をやる国です。合理的なきちんと統治能力をもった国なら、そんな愚かなことをやるはずがない。これもまたこの国のかたちのひとつと言えますが、上手に焚きつけられたからって、よし承知したという具合にはいきません(笑)淋しい話になりましたね。(『プレジデント』1996年9月号 半藤一利「司馬遼太郎とノモンハン事件」)


関係者が存命中は、冷静な歴史認識はムリかも
ここからは個人的な意見です。私はアジアとの仕事をしていることもあり、嫌中・嫌韓の思想はあまり持っていないことを前提にして話します。よくアジアを中心に、「日本は戦争責任を明確にせよ」と言われていますが、関係者が存命中は冷静な歴史認識はムリではないかなと思います。この司馬遼太郎の断筆なんかを見ると、とくにそう感じます。

司馬は、『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』で、明るい日本の姿を描き出しました。では幕末や明治の日本には、陰湿な人間はいなかったのでしょうか。そんなわけありません。幕末まで威張っていた大名が、四民平等で農民と同列に格下げになるかもしれないと思ったら、誰よりも陰謀を張り巡らせるのではないでしょうか。
それでも、司馬が明るい小説にできたのは、やはり関係者がすべてこの世を去り、歴史的事実だけを冷静に分析できたからだと思います。反対に、戦中を舞台にした小説を書くには、司馬にとってまだまだ生々しすぎたのだと思います。

司馬よりも後の時代の作家である浅田次郎は、戦前を舞台にした小説を書いていますが、司馬よりは遥かに精神的なダメージがない状態で書けていると思われます。
いずれにしても戦後70年経つわけですが、戦中・戦後の検証は私たちの仕事なのではないかと考えています。私たちは当時との関係が希薄な分、冷静に歴史認識を判断できる可能性があるからです


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2014年07月31日

『竜馬がゆく』における坂本龍馬のモデルはハンガリー人の青年!

shiba-ryotaro.jpg7月26日に、NHK Eテレで『知の巨人たち〜日本人は何をめざしてきたのか』という番組がやっており、そのときのテーマが司馬遼太郎でした。生前のインタビューに加え、彼と親しかった編集者や学者たちの証言が多く、初めて知る内容ばかりでした。この番組では、司馬遼太郎が目指してきた重要なキーワードがいくつも登場してきたのですが、個人的には、どうしても2つのことを言及したくなりました。
@『竜馬がゆく』における坂本龍馬のモデルはハンガリー人の青年!
Aなぜ司馬遼太郎は戦中を舞台にした小説を書かなかったか


消えては現れる龍馬ブーム
坂本龍馬が幕末の重要人物であることは否定しようがありませんが、それでも「龍馬ブーム」というのは現れては消え、消えては現れるという現象を繰り返してきました

1867年、龍馬は31歳で暗殺されたため、明治新政府の姿を見ることなく死去。当然、新政府の重職に就いたわけではないため、大久保利通や木戸孝允(桂小五郎)に比べれば公式文書に登場する機会が極端に減ります。そのため、龍馬の姿は同世代の証言や民間伝承によって伝わって来た側面が強いといえます。これが龍馬ブームが現れては消えてしまう理由のひとつと思われます。

龍馬ブームは、大きく分けて4つの時期があると考えられます。
@1883年、坂崎紫瀾が高知の『土陽新聞』に『汗血千里の駒』を書いたとき
A1901年、日露戦争時、明治天皇皇后の夢枕に龍馬が立ったという記事が全国紙に掲載時
B戦前、龍馬や海援隊をテーマにした映画が多数製作される
C1962年、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』を発表。1968年、NHK大河ドラマ化

sakazaki.jpg@は日本で初めての龍馬ブームでした。NHK大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)を見た人ならわかると思いますが、第1話のオープニングで、
坂崎紫瀾(さかざき しらん、演:浜田学)が岩崎弥太郎(演:香川照之)を訪ね、「同じ土佐人に坂本龍馬という人物がいたと聞いています。どうか、その人のことを教えてください。すごい仕事を成し遂げたと言われているのに、今は誰も彼のことを知りません。私は彼のことを後世に伝えたいのです」というシーンがあります。後に、この坂崎紫瀾によって
『汗血千里の駒』が書かれ、初めて坂本龍馬が世に出ました。

その後、また龍馬は無名になったり有名になったりして、戦後はまた無名になっていました。そこに司馬遼太郎『竜馬がゆく』が登場するのです。現在の龍馬ブームは、ほぼすべて『竜馬がゆく』の延長と考えていいでしょう。


なぜ日本人はこんな馬鹿になったのだろう?
shiba03.jpg司馬遼太郎が作家を志すようになったのは、22歳のとき。ときは1945年、つまり終戦の年でした。大阪外国語学校に通っていた司馬は学徒出陣により、満州へ出陣。その後、本土に戻っていたところで終戦となりました。作戦もへったくれもない上層部の行い、失われたたくさんの同朋の命、それらを目の当たりにした22歳の司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」という疑問を強く持ちました。そして、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」と考え、「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐しています。


小説家になり、思想を深めていく
司馬は、小説家となる第一歩として新聞社に就職。いくつかの新聞社を転々とし、1948年に産経新聞社に入社します。その後、1960年に『梟の城』で直木賞を受賞し、翌年に産経新聞社を退職。専業の作家生活に入ります。そして、22歳のときからずっと考えていた「日本人とは何か?」を突き詰める思想の旅に拍車をかけます。まずは幕末を明らかにし、そして明治、戦中と進めていくことで、なぜ武士道や礼節を重んじていたはずの日本人が、あんなに馬鹿げた戦争に突入していったのかを明らかにしようと考えました。その一歩が幕末であり、長編小説『竜馬がゆく』だったのです。


困った。坂本龍馬という人物がわからない
当時は、また無名に戻っていた坂本龍馬。彼の足跡をたどるため、司馬はなんども高知県を訪れ、取材や資料集めを繰り返します。しかし、壁にぶつかります。坂本龍馬をどのようなキャラクターにしていいか、ピンとこなかったのです。ところが悩んでいた司馬に、妻のみどりが「面白い青年がいるから会ってみたら」と伝えます。みどり夫人は産経新聞の同僚だった人で、文化部で婦人欄を担当していました。あるとき各国の留学生を集めた座談会を企画し、そこで出会ったのが京都大学大学院に通うスティーブン・トロクというハンガリー出身の留学生だったのです。


ハンガリー動乱を逃れ、日本に亡命
スティーブン・トロクは当時24歳。『街道をゆく25 中国・ビンの道』に以下の記述があります。
hungry.jpgそのころ、かれは母国の政権から首に懸賞金をつけられていた。1956年、ソ連が大会戦でもおこせるほどの戦車団をハンガリーに殺到させて政治と言論の自由を弾圧したとき、ブダベスト大学の法学部学生だったトロクは学生団の委員長としてこれと闘い、ついに力及ばず、国外へ逃げた。

これはフルシチョフ政権のソ連軍が、同じ社会主義国だったハンガリーを武力で弾圧したハンガリー動乱のことです。数千人の市民が殺害され、25万人近くの人々が国外へ逃亡しました。トロクはオーストリア国境に向かい、なんとかソ連兵の隙をみて脱出に成功。しかし、投獄されたり、殺さたりした仲間もいました。
その後、紆余曲折あり日本に亡命してきたトロクは、司馬にこう語ります。「今、祖国ハンガリーはひどい状況にあります。それでも、私はいつか祖国に帰り、大統領になって新しい国を作るつもりです」

この一言を聞いたとき、司馬は「これだ! 龍馬はこのキャラクターしかない!」と思いました。ハンガリーを亡命したトロクに、土佐藩を脱藩した坂本龍馬を重ね合わせたのです。新しい国を志し、そのためならどんな苦難にも屈せずに進んでいく。それでいて明るい。男も女も彼に惚れてついていく。そんな坂本龍馬のキャラクターはこうして生まれたのです。

番組ではトロクの顔も写っていましたが、ハンサムな青年でした。彼の国を想う眼差しはきっと、多くの人を魅了したものと思われます。そして、坂本龍馬もこういう人物であったに違いないと司馬は確信を持てたのだと思います。
なお、トロクは日本人の女性と結婚し、そのまま日本に住んで最近亡くなったようです。ハンガリーに戻って政治家になったわけではないので歴史的には無名かもしれませんが、坂本龍馬のキャラクターのモデルになったのだから、巨大な足跡を残したと言えるのではないでしょうか


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ラベル:幕末
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2014年07月05日

大河ドラマ『八重の桜』

NHK大河ドラマ『八重の桜』(主演:綾瀬はるか、脚本:山本むつみ、音楽:坂本龍一、2013年)。

戊辰戦争の敗者である会津藩の人物が主役。これとは別になりますが、『天地人』(2009年)では、関ヶ原の戦いの敗者である上杉家の人物が主役になりました。

織田信長や坂本龍馬などはすでにやり尽くした感がありますが、この敗者側にスポットを当てるという傾向はまだ手つかずの分野。面白いと思うので、今後も続いてほしいですね。


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