本場の中国にはいないのに、なぜか日本に
「秦の始皇帝の末裔」という一族がいます。しかも、それなりの数。
わかりやすいのは、
秦(はた)さんという苗字。結構いらっしゃいますよね。後は、秦氏から分かれた薩摩の
島津氏、四国の
長宗我部氏。雅楽家として有名な東儀秀樹さんがいる
東儀氏もそうです。
ただ、
「おいおい、始皇帝の末裔がなんで日本にいるんだよ?」という至極最もな疑問があると思います。秦は中国大陸の西側にあったため、日本など別次元に遠い存在だったはず。とはいえ、あながち与太話と言い切れない部分もありまして・・・。
秦が滅亡した頃の状況紀元前221年 秦が史上初めて中国を統一し、秦王・政は「始皇帝」を名乗る
紀元前210年 秦の始皇帝死去、末子の胡亥が二世皇帝として即位
紀元前207年 趙高のクーデターにより胡亥が死去
紀元前207年 趙高によって、胡亥の兄の子とされる子嬰が即位(ただし、皇帝ではなく秦王として)
紀元前206年 子嬰、劉邦に降伏。その後、項羽が咸陽に入城したときに一族もろとも処刑される。これにより秦は滅亡する
一族郎党皆殺しなので、始皇帝の子孫が生き残り、朝鮮半島を経由して日本に渡ってくる可能性は考えにくいです。しかし、わずかながら史料的な根拠もあるのです。
秦氏の登場秦氏から分派した長宗我部氏の中には、戦国時代に四国の雄となった
長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)がいます。長宗我部氏は豊臣秀吉に敗れて以降、散々な苦労をし続けますが、末裔は現在も存在しています。現当主である長宗我部友親氏の著作『長宗我部』を読むと、始皇帝の末裔が日本に渡来してきた経緯が書かれています。同様の内容が
『現代ビジネス』のインタビュー記事にもあるので、そちらを引用してみましょう。
長宗我部家の系図をみると、秦の始皇帝の次に記されているのが孝武王です。「五世或十世 世数未詳」との添え書きがあり、始皇帝と孝武王との間には五人から十人の後継者がいたと思われます。その孝武王のあとに書かれているのが功満王。この人のところに「仲哀帝八年帰化」との書き付けがあります。仲哀天皇は日本武尊の第二子で神功皇后の夫です。
この記述から推察すると、功満王が朝鮮半島を経由して日本に渡来し帰化したということになります。その後、弓月王、普洞王と続き、この普洞王のときに仁徳天皇から「波陀」の姓を授けられました。これが転じて「秦」となり、以降一族は秦氏を名乗ることになります。
中国では、王朝が秦から漢に変わってからも、始皇帝は民衆からかなり恨まれていたと思われます。そのため子孫が実際に存在していたとしたら、ひっそりと生きて中には日本まで渡ってきた人たちもいるかもしれません。真偽はともかくロマンのあるお話じゃありませんか。
さて日本史において、秦氏でとくに重要なのが飛鳥時代の
秦河勝(はたの かわかつ、
wiki)です。聖徳太子のブレーンとして活躍したといわれています。
その秦氏の本拠地となっていたのが
太秦(うずまさ、京都市右京区)。映画スタジオの町として有名なこの地に、秦氏の名が残っています。太秦にある
広隆寺は秦氏の氏寺であり、京都最古の寺院です。秦河勝が聖徳太子から「弥勒菩薩半跏思惟像」(宝冠弥勒)を賜ったことをキッカケに建立したといわれています。
徐福伝説ってのもあるしね「なぜ、秦の始皇帝の末裔が日本にいるんだ?」という疑問に対して、もうひとつ出てくる説が
「徐福伝説」です。
徐福(じょ ふく)は始皇帝に仕えた方士です。司馬遷の『史記』によると、始皇帝に「東方に不老不死の霊薬がありますよ」と奏上したところ、「じゃあ取ってこい!」と命を受け、3000人の若い男女と技術者を従え、東方に船出しました。そして、その地で王となり戻らなかったと記述されています。
で、この東方の地が、「日本」だというのです。かなりトンデモな逸話ですが、
青森県から鹿児島県に至るまで日本各地に「徐福が渡来した!」という伝承が残されています。これだけ多いと、いろんな想像が膨らみますね。ちなみに、徐福伝説が有名な土地のひとつ和歌山県新宮市では、「徐福公園」(
wiki)が大々的に作られ、町おこしに利用しています。
秦氏はユダヤ人!?さて、この秦氏が実は景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰するユダヤ人一族の末裔というトンデモ説もあります。そもそも秦という国は中国で一番西にあった国で、シルクロードに直結しており、中東からユダヤ人が頻繁に往来していたことは事実です。
加えて、太秦(ウズマサ)は古代ヘブライ語の「ウズ」(光)、「マサ」(賜物)が語源であるというのです。もちろんトンデモ説の域を出ません。ただ、こういう想像を楽しむことも歴史を好きになるコツでしょう。無味乾燥な年号の暗記などよりは、はるかにいいと思いますよ。
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『キングダム』と『項羽と劉邦』、両方に登場する人物・
秦の丞相・呂不韋が主人公の『奇貨居くべし』(宮城谷昌光)巻頭に長宗我部家の系図が載っており、その先頭が始皇帝になっていてビビります。
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東儀秀樹さんは雅楽の世界にポップスの要素を盛り込み、現代の人でも楽しめる雅楽をつくっています。
ネタバレですが、「秦氏=ユダヤ人説」をモチーフにした結末が待っております。
posted by すぱあく at 13:30
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