2016年01月31日

秦の始皇帝の末裔!? 秦氏とは

本場の中国にはいないのに、なぜか日本に「秦の始皇帝の末裔」という一族がいます。しかも、それなりの数。

togi.jpgわかりやすいのは、(はた)さんという苗字。結構いらっしゃいますよね。後は、秦氏から分かれた薩摩の島津氏、四国の長宗我部氏。雅楽家として有名な東儀秀樹さんがいる東儀氏もそうです。

ただ、「おいおい、始皇帝の末裔がなんで日本にいるんだよ?」という至極最もな疑問があると思います。秦は中国大陸の西側にあったため、日本など別次元に遠い存在だったはず。とはいえ、あながち与太話と言い切れない部分もありまして・・・。


秦が滅亡した頃の状況
紀元前221年 秦が史上初めて中国を統一し、秦王・政は「始皇帝」を名乗る
紀元前210年 秦の始皇帝死去、末子の胡亥が二世皇帝として即位
紀元前207年 趙高のクーデターにより胡亥が死去
紀元前207年 趙高によって、胡亥の兄の子とされる子嬰が即位(ただし、皇帝ではなく秦王として)
紀元前206年 子嬰、劉邦に降伏。その後、項羽が咸陽に入城したときに一族もろとも処刑される。これにより秦は滅亡する

一族郎党皆殺しなので、始皇帝の子孫が生き残り、朝鮮半島を経由して日本に渡ってくる可能性は考えにくいです。しかし、わずかながら史料的な根拠もあるのです。


秦氏の登場
秦氏から分派した長宗我部氏の中には、戦国時代に四国の雄となった長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)がいます。長宗我部氏は豊臣秀吉に敗れて以降、散々な苦労をし続けますが、末裔は現在も存在しています。現当主である長宗我部友親氏の著作『長宗我部』を読むと、始皇帝の末裔が日本に渡来してきた経緯が書かれています。同様の内容が『現代ビジネス』のインタビュー記事にもあるので、そちらを引用してみましょう。
長宗我部家の系図をみると、秦の始皇帝の次に記されているのが孝武王です。「五世或十世 世数未詳」との添え書きがあり、始皇帝と孝武王との間には五人から十人の後継者がいたと思われます。その孝武王のあとに書かれているのが功満王。この人のところに「仲哀帝八年帰化」との書き付けがあります。仲哀天皇は日本武尊の第二子で神功皇后の夫です。

この記述から推察すると、功満王が朝鮮半島を経由して日本に渡来し帰化したということになります。その後、弓月王、普洞王と続き、この普洞王のときに仁徳天皇から「波陀」の姓を授けられました。これが転じて「秦」となり、以降一族は秦氏を名乗ることになります。

中国では、王朝が秦から漢に変わってからも、始皇帝は民衆からかなり恨まれていたと思われます。そのため子孫が実際に存在していたとしたら、ひっそりと生きて中には日本まで渡ってきた人たちもいるかもしれません。真偽はともかくロマンのあるお話じゃありませんか。

さて日本史において、秦氏でとくに重要なのが飛鳥時代の秦河勝(はたの かわかつ、wiki)です。聖徳太子のブレーンとして活躍したといわれています。

その秦氏の本拠地となっていたのが太秦(うずまさ、京都市右京区)。映画スタジオの町として有名なこの地に、秦氏の名が残っています。太秦にある広隆寺は秦氏の氏寺であり、京都最古の寺院です。秦河勝が聖徳太子から「弥勒菩薩半跏思惟像」(宝冠弥勒)を賜ったことをキッカケに建立したといわれています。


徐福伝説ってのもあるしね
「なぜ、秦の始皇帝の末裔が日本にいるんだ?」という疑問に対して、もうひとつ出てくる説が「徐福伝説」です。

徐福(じょ ふく)は始皇帝に仕えた方士です。司馬遷の『史記』によると、始皇帝に「東方に不老不死の霊薬がありますよ」と奏上したところ、「じゃあ取ってこい!」と命を受け、3000人の若い男女と技術者を従え、東方に船出しました。そして、その地で王となり戻らなかったと記述されています。

で、この東方の地が、「日本」だというのです。かなりトンデモな逸話ですが、青森県から鹿児島県に至るまで日本各地に「徐福が渡来した!」という伝承が残されています。これだけ多いと、いろんな想像が膨らみますね。ちなみに、徐福伝説が有名な土地のひとつ和歌山県新宮市では、「徐福公園」(wiki)が大々的に作られ、町おこしに利用しています。


秦氏はユダヤ人!?
さて、この秦氏が実は景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰するユダヤ人一族の末裔というトンデモ説もあります。そもそも秦という国は中国で一番西にあった国で、シルクロードに直結しており、中東からユダヤ人が頻繁に往来していたことは事実です。

加えて、太秦(ウズマサ)は古代ヘブライ語の「ウズ」(光)、「マサ」(賜物)が語源であるというのです。もちろんトンデモ説の域を出ません。ただ、こういう想像を楽しむことも歴史を好きになるコツでしょう。無味乾燥な年号の暗記などよりは、はるかにいいと思いますよ。


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巻頭に長宗我部家の系図が載っており、その先頭が始皇帝になっていてビビります。

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東儀秀樹さんは雅楽の世界にポップスの要素を盛り込み、現代の人でも楽しめる雅楽をつくっています。

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ネタバレですが、「秦氏=ユダヤ人説」をモチーフにした結末が待っております。

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2016年01月17日

職場の悲喜こもごもは明治時代も同じ ― 『坊っちゃん』

bocchan.jpgお正月に放映した『坊っちゃん』、かなりおもしろかったですねぇ〜。嵐の二宮くんの演技も素晴らしかったです。これを機に夏目漱石の原作(1906年)も読んでみてほしいです。

不朽の名作とはまさにその通りで、まったく古さがありません。どの時代の職場にも、いけ好かない上司(赤シャツ)、その太鼓持ち(野だいこ)はいるもの。そんな奴らを頼もしい同僚(山嵐)と組んで仕返しをする。昔『坊っちゃん』、今『半沢直樹』。人間の営みは、100年経っても大して変わってないと思うばかりです

本作は日本を代表する文学作品ですから、多数の外国語に翻訳されています。とはいえ、本作を一番よく理解できるのは、やはり職場環境に一喜一憂せざるを得ない日本人でしょうね〜。転職することが当たり前の海外では、深刻に嫌になる前にすぐ辞めちゃうでしょうし。職場で発生する悲喜こもごもはピンと来ないかもしれません。


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2016年01月14日

ニフティが創業30周年

nifty-serve.jpg2月にプロバイダの老舗であるニフティ(外部リンク)が創業30周年を迎えます。インターネットが一般的になる以前から「パソコン通信」の文化を作ってきた同社。多くのプロバイダが設立しては消滅してきた中で、30周年を迎えたことは「奇跡」といえます。同社の歩みを振り返ってみます。


●日商岩井と富士通の折半出資で設立
1986年2月4日に「エヌ・アイ・エフ」(NIF)として設立。社名のエヌ・アイは総合商社である日商岩井のこと。エフは富士通のことを指し、両社50%ずつの出資で設立されました。社名は後にNIFからNIFTY(ニフティ)に改名されます。

当時では富士通のような総合電機メーカーと、日商岩井のような総合商社が合弁会社を設立してサービス展開するというのは珍しいことでした。それだけ新しいサービスに賭ける意気込みがあったのでしょう。技術面を富士通が、営業面を日商岩井がフォローする形でサービスを展開。そして1987年、パソコン通信「ニフティサーブ」をスタートさせました。


●そもそも「パソコン通信」とは何か?
パソコン通信の草分けは、アメリカのCompuServeでした。ニフティサーブは設立当初、このCompuServeのライセンスを購入して日本展開していました。

パソコン通信は、あらゆる端末とつながる現在のインターネットとは異なり、ニフティのようなサービス会社が用意したサーバーにアクセスし、そのサーバー内に限定して交流する仕組みです。しかも、当時では写真・画像などを送れるほど大容量の通信回線も存在していません。交流はもっぱらテキストだけでした。今の感覚で考えると原始的に感じてしまうでしょうが、当時としてはかなり画期的だったのです。

そもそも、当時のIT環境を想像してみてください。まだ携帯電話も電子メールが存在せず、固定電話しかない時代です。こうした時代でもパソコン通信を利用すれば、北海道の人と沖縄の人同士、さらには海外に住んでいる人同士でも、距離を飛び越えて交流できたのです

ニフティサーブでは交流する話題によって「フォーラム」が形成され、作家やアーティストが初期から参加していました。まさに「未来」を感じさせるサービスの登場であり、これが後のインターネットにつながっていくわけです。

またホビー以外の実用性を重視したサービス(有料データベース等)を行っていたため、法人会員が多かったのも特徴のひとつです。こうした理由からニフティはとてもマジメな、ときには堅苦しいと評されるイメージがありました。ただ結果的にはこのことが、流行に左右されず、現在まで存続できた理由かもしれません。


●インターネットの登場で、パソコン通信が役目を終える
ニフティサーブはサービス開始から、少しずつ知名度を上げ会員も増加していきました。1995年、Windows95が登場しパソコンブームが到来したときには、会員数は100万人を突破し、国内最大のパソコン通信サービスとなります。

しかし、1995年当時、すでにインターネットも普及しつつありました。インターネットはテキストだけでなく、画像や様々なメディアを混在して表示できる画期的なもの。テキストだけのパソコン通信は、イッ気に時代遅れとなり、ニフティサーブのブランド力も急速に色あせていきます

1999年には、日商岩井がニフティの経営から撤退し、ひとつの区切りとなります。ニフティもインターネットの運営が主力事業となり、いつしかパソコン通信は日影の存在になります。少しずついろいろなサービスが終了していき、2007年にはすべてのサービスが終了。パソコン通信は完全に役目を終えました

とはいえ、ニフティサーブが日本のネットワーク文化を発展させたことは明らかであり、インターネット時代の橋渡しをしたと言えます。そのニフティはこれからの時代、どんなサービスを提供していこうとしているのでしょうか。今後の同社の動きに期待したいところです。






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2016年01月06日

いつの時代も素晴らしいセンス、日清カップヌードルのCM

日清カップヌードルのCMって、いつの時代も素晴らしいセンスですよね〜♪ 2016年は古谷一行さんによる金田一耕助ですか。犬神家ですか。スケキヨですか。清々しいほどバカバカしい。

公務員・サラリーマン問わず、日本の組織で働いていると、どうしても「無難な落とし処」に落ち着けようとするはず。ところが、“無難”というのは、「誰も責任を取りませんよ」と宣言しているようなもので、むしろリスクの方が高い側面があります。

そこへ行くと、日清カップヌードルのCMはいつも「攻めていて」、「メッセージ性」があります。そこには無難さがありません。BGMもヒット曲とタイアップさせるような無難な手法を度外視して曲を選んでいます。こうした挑戦的な姿勢があるからこそ、カップヌードルは世界中で展開できているのかもしれません。日清食品の社風も、とても気になるところです。



流れるのは大沢誉志幸『そして僕は途方に暮れる』とキャッチコピー「きみのつぎに、あったかい。」だけ。シンプルなのに胸を打った1985年のCM。





これは1989年のCM。「シュワルツェネッガー、食べる。」のコピーが有名で、多くの人の記憶に残っていると思います。BGMは遊佐未森(ゆさ みもり)『地図をください』。とてもいい曲です。





2013年のCM。「英検3級なめんな!」サイコー!!





2014年の「SAMURAI, FUJIYAMA, CUPNOODLE」も素晴らしい。




あの光り輝いていたソニーでさえ、どうしちゃったの?状態なのに、カップヌードルは今なおブランド力を堅持しています。CMからも伺えますが、やはり日清食品には色あせない経営哲学というのがあるのだと思います。


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当時、機動隊員たちがカップヌードルを食べる場面が全国に生中継され、知名度が一気に上がった


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2015年08月05日

『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(稲垣麻由美 著)

私たちは学校で歴史を習うとき、近現代史は恐ろしいほどサラッと流します。現代社会を知るうえで、本来は超重要なんじゃないの?と思いますが、教育現場では華麗にスルー。まるで、「あまり触れてくれるな!!」と言わんばかりに。こうした努力が実を結び(?)、日本人は戦争当時の記憶をきれいに忘れています
見方を変えれば陰謀論っぽくなりますが、いずれにしても日本が「戦敗国」であることが大きいでしょう
私たちが受けてきた教育は、かなり特殊なんだと思います。

そんな感じで、戦争とあまり向き合ってこなかった私たち日本人ですが、安保法制、強行採決、デモ、沖縄などで、ここ最近ザワついています。
「戦争のことはよくわからない、でも知っておきたい、何か起こしたい」。そんな気持ちが、日本人に芽生えているのでしょうか。もしかしたら、戦後70年という節目ならではの現象かもしれません


知りたければ、やはり読書がいい
戦争のことについて知りたければ、実体験を持つ人に聞くのが本来はベストですが、ほとんどが高齢ですし、皆あまり当時のことは語りたがらないでしょう。やはり、関連書籍を読むのがいいと思います。

とはいっても、初めからいきなり『広島と長崎に原爆が落ちた日』とか『大日本帝国の真実!』とか
『石原莞爾、100年の野望』とか『実録!731部隊』といった書籍には手を出さない方が無難です。内容がよくわからないでしょうし、出てくる描写にトラウマを抱えてしまっては意味がありません


一人の女性の目線から見る「戦争」
koibumi.jpgそこへ行くと、出版されたばかりの『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』
(稲垣麻由美 著、2015年7月)は、誰が手にしても読みやすい本です。

登場するのは、山田藤栄(やまだ・ふじえ)という軍人と妻のしづゑ。二人は結婚したばかりなのに、夫は戦地に行く羽目になってしまいます。お腹には赤ちゃんが宿っていたというのに、当然、子供の顔を見ることなく戦争に行きます。その悲しみたるやいかほどのものであったか。

しづゑは、戦地にいる夫に手紙を出し続けます。そして、その手紙をずーーーっと大切に持ち続けていた夫。この本は、奇跡的に残っていた115通の“恋文”を集めたものなんです
夕にはお父様が元気で帰られた夢を見ました。
立派なおひげでね。そして、又行くから一寸帰って来られたのだと、
向こうの様子等をお話しになられてお別れしたのでした。
今日は何かお便りでもあるかと心待ちにして居りましたが
淋しいかな何処からもお便りはありませんでした。
どうぞお達者でおいで下さればよいがと、
貴方のご健壮を祈らずには居られません。
お腹の子供も大変元気です。

戦場でこうした手紙を読む、夫・山田藤栄の気持ちになってみて下さい。
(TwT。) 泣くでしょ。「なんとしてでも生きて帰るぞ!」と思うでしょ。


この手紙が地獄から救った!?
実は山田藤栄は、ただの軍人ではありません。なんと、最終階級は少佐。1000人以上の部隊を率いる大隊長だったのです。とはいえ彼が最終的に赴任したのは、フィリピン・ミンダナオ島。結果的に、太平洋戦争でもっとも多くの戦没者を出した地獄の中の地獄、阿鼻叫喚の「南方戦線」のひとつです。

南方戦線というのは、フィリピン、マレーシア、タイ、ビルマ、グアム、ボルネオ、パプアニューギニアなど、東南アジアおよび太平洋各地の戦場のことです。『ゲゲゲの鬼太郎』の作者水木しげるは、ニューギニア戦線・ラバウルにおける戦闘で、爆撃を受け左腕を失っています
この戦線は、アメリカ軍に次々に攻略され、日本本土からの補給が断たれてしまっていたんですね。そのために飢餓地獄が発生し、さらにはマラリアや赤痢にかかって、兵士たちはバタバタと亡くなって行ったのです。

山田隊長の部下もほとんどが亡くなってしまいました。そして、戦地ミンダナオ島で終戦を迎え、アメリカ管轄の収容所に捕虜として1年間抑留されます。その後、1946年の秋に故郷の福井県に復員。発狂も自殺もせずに故郷に生還できたのは、妻からの“恋文”があったからではないでしょうか。
事実、骸骨のように痩せ細りながら復員した山田藤栄のリュックには、大切に保存されたこの“恋文”が入っていたそうです

この手紙が時を経て、著者である稲垣さんの手に渡る下りはドラマチック。そして、稲垣さんが出版を決意してから取材する度に、新しい事実や人物が浮かび上がってくる様子もまたドラマチックです。


興味が沸けば、勝手に調べていく
誰でもそうですが、興味が沸けばネットで調べたり本を読んだりして、勝手にどんどん詳しくなっていきますよね。戦国武将にやたら詳しい人が多いのもそうした理由からですが・・・。

なので、この本をキッカケにとくに若い人や女性が、戦争のことについて興味を持ってもらえればいいなと思っています。欲を言えば、同様のジャンルの本がもっと増えてくれればいいのですが、「重苦しい戦争モノよりはダイエット本だ!! モテる本だ!! 頭が良くなる本だ!! 金持ちになれる本だ!!」というのが出版不況にあえぐ出版社の事情でしょうから、それはちょっと難しいかな?


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2015年05月06日

チーム八部衆で一人だけ有名な阿修羅

ASURA_Kohfukuji.jpg藤原氏の氏寺として建立された奈良の興福寺。ここには、あの有名な阿修羅像があります。教科書に載っているばかりか、アシュラマンの活躍により、日本人で知らない人はいないほど有名な仏様です。
藤原氏 ― 1300年間、日本の上流で踏ん張っている「超名門」

とはいえ、阿修羅は八部衆というチームのメンバーの一人なんです。彼だけ突出して有名なので、他のメンバーの存在はおろか、八部衆というチームの存在すら知らない人は多いでしょう。例えれば、KA○-TUNの亀○くんと他のメンバーみたいなものでしょうか。

八部衆は仏教が広まる前の古代インドの神々が源流のため諸説ありますが、「法華経」では天、龍、迦楼羅、夜叉、阿修羅、乾闥婆、緊那羅、摩睺羅伽の8つを指しています。以下が興福寺における八部衆で、一部名前が異なっています。
hachibushu.jpg


五部浄(ごぶじょう)
法華経八部衆の「天」に相当。像は胸から下を失っていますが、象の冠をかぶっています。

沙羯羅(さから)
法華経八部衆の「龍」に相当。龍宮に住み、雨を呼ぶ魔力を持ちます。像は頭に蛇を巻いています。

迦楼羅(かるら)
ビシュヌ神が乗るガルーダ(金翅鳥)を神格化したものです。

鳩槃荼(くばんだ)
法華経八部衆の「夜叉」に相当。死者の魂を吸う悪鬼だったのが、仏法に帰依して護法善神になりました。

阿修羅(あしゅら)
インドラ(帝釈天)と戦う悪の戦闘神が、仏法に帰依して守護神になりました。

乾闥婆(けんだつば)
帝釈天宮で簫(しょう)を吹き、音楽を流し諸神を供養する神です。

緊那羅(きんなら)
半身半獣で、人でも動物でも鳥でもない存在とされています。

畢婆迦羅(ひばから)
法華経八部衆の「摩睺羅伽(まこらか)」に相当。ニシキヘビを神格化した音楽をつかさどる神です。


syurato.jpgさて、かつてこの八部衆をキャラクターにしたアニメがありました。それがタツノコプロが制作した『天空戦記シュラト』(1989年)。
『聖闘士星矢』のヒットに便乗したいわゆる「ヨロイモノ」の一つです。
主人公は修羅王シュラト(阿修羅)。その宿敵が夜叉王ガイ(夜叉)。そして仲間たちが天王ヒュウガ(天)、龍王リョウマ(龍)、迦楼羅王レイガ(迦楼羅)、那羅王レンゲ(緊那羅)、比婆王ダン(摩睺羅伽)、闥婆王クウヤ(乾闥婆)。

今考えると声優陣が豪華で、関俊彦(シュラト)、子安武人(ガイ)、山寺宏一(リョウマ)、林原めぐみ(レンゲ)などが出演していました。

『聖闘士星矢』の二番煎じながら、独自の世界観が受けてヒットしました。しかし、後半は制作環境が急激に悪化し、作画崩壊を引き起こします。紙芝居のようにカクカクした動きを見た当時の私は、
「大人になって働くって、きっと大変なことなんだろうな」と思ってしまいました
そう思っていた自分が、出版社に入り同様に劣悪な環境で働くことになろうとは、これも八部衆のお導きかもしれません。


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ラベル:仏教
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