2022年11月14日

紅葉映える高野山を来訪!

弘法大師 空海が開いた日本仏教の聖地、そして世界遺産の高野山 金剛峯寺を来訪。今はまさに紅葉が絶景のシーズンでした!
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広大な山内は荘厳な雰囲気が満ちており、どこを撮っても映えます。

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弘法大師が入定(にゅうじょう)されている聖地「奥之院」までの参道には、超メジャーな大名の墓石が多数置かれています。写真下は武田信玄,、勝頼親子の墓です(※武田神社、恵林寺など複数ある墓所のひとつ)。
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宗教施設なので適切な表現じゃないかもしれませんが、ここはまるで「テーマパーク」。実際に和歌山県高野町というひとつの町を形成し、小学校から大学まで存在します。
宗派別 仏教系大学一覧

加えて、どの施設も観光客慣れしています。標高900m以上の所に位置していますが、携帯もWifiも問題なし。多言語化も進んでおり、外国人観光客もストレスフリーでしょう。816年に空海が高野山を賜ってからすでに1200年! これこそ蓄積と余裕が成せる業でしょうか!


写真下は高野山のシンボル壇上伽藍の根本大塔。48.5mもあり、写真で見るよりはるかに巨大な迫力がありました。

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山内の寺院は100以上あり、宿坊も兼ねています。ただし、1泊1万〜2万円以上とどれも高め。精進料理や座禅など貴重な体験がプラスされていると考えるのがいいでしょう。なお、寺院ではなく民間が運営しているゲストハウスもあり、それらはリーズナブルで泊まれます。
熊野古道の参詣をセットで考えている人は、宿坊を拠点にして移動するのが便利です。


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2021年10月24日

『おくのほそ道』の出発地、千住宿

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上の写真のスポットは、京成電鉄 千住大橋駅からすぐのところにあります。奥に写っているのが隅田川に掛かっている千住大橋で国道4号(通称:日光街道)が通っています。
そして、手前にあるのが『おくのほそ道』の出発地「矢立初めの地」を表す碑です。

元禄2(1689)年、松尾芭蕉は深川の芭蕉庵を引き払い、船に乗ります。そして隅田川を移動し、3月27日に千住大橋で下船しました。
千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。

「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」

是を矢立の初として、行道なお進まず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。


●現代語訳
千住というところで船をおりると、「これから三千里の旅が始まるのか」という思いで胸がいっぱいになり、幻のようにはかないこの世の分かれ道での別れに涙を流す。

春が過ぎ去ろうとしているところに、旅立つ別れを惜しんでいたら、鳥たちは悲しそうに鳴き、水の中の魚も涙をためている感じがした。 より悲しみが沸き上がってくる。

この句を「矢立の初め」、つまりこの旅の最初の吟とはしたものの、後ろ髪を引かれて足が前に進まない。見送りの人々は道の真ん中に立って、後ろ姿がみえなくなるまで、見送ってくれた。

ちなみに、このスポットからは階段で、下にある隅田川沿いの遊歩道に降りられます。そこに描かれている絵がこちら。
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さらに国道4号の反対側に行き、隅田川を背にして北へ5分程歩くと芭蕉像があります。壁に書かれているように、この一帯は江戸時代には千住宿(せんじゅしゅく)と呼ばれ、日光東照宮まで続く「日光街道」および奥州街道の最初の宿場町として発展しました。
加えて板橋宿(中山道)、内藤新宿(甲州街道)、品川宿(東海道)ともに江戸四宿(えど ししゅく)のひとつに数えられた重要宿場町です。
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senju04.JPG右は芭蕉像を正面から見た写真です。筆を持ってますよね。この筆や墨を一組として収めた携帯用の筆記用具を「矢立」(やだて)と呼びました。

「矢立初めの地」とは、矢立を初めて使った場所。つまり千住が『おくのほそ道』執筆の出発地であったことを意味するわけです。


●もうひとつの芭蕉像
さて、芭蕉像は実はもう一つ存在します。それは隅田川を渡って南にずっと行ったところ、JR南千住駅の前です。これは「千住論争」が関係しています。

芭蕉たちが千住大橋の北側で下りたのか、南側で下りたのかは記録に残していないため不明です。北側も南側も同じ「千住」ですし、彼らにとっては重要なことではなかったからでしょう。ところが、そこをハッキリ記してくれなかったことで300年後である今日、ひとつの論争を生むことになります。

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なんと現在は千住大橋の北側は足立区、南側は荒川区と行政区が異なっているのです。そしてこの2区双方が「ウチこそが矢立初めの地だ!!」と主張しているのです。

左の写真が南千住駅前の芭蕉像。こちらも矢立を持っていますね。心なしか、「ワイが本家やで!」と主張しているようにも感じます (;^ω^)

ただ実際のところ、「千住論争」がヒートアップしていたのは何十年も前の話。今では同じ「千住」、同じ「矢立初めの地」としてお互い協力する方向に変わっているように感じます。

ぜひ芭蕉が残してくれた貴重な遺産を活かして、どちらも地元を盛り上げていってほしいですね。




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2021年08月26日

松尾芭蕉『おくのほそ道』年表

matsuo_basyo.jpg『おくのほそ道』(奥の細道)は俳人 松尾芭蕉が東北・北陸を巡った旅行記です。崇拝する西行の500回忌にあたる1689(元禄2)年春に、門人の河合曾良を伴い江戸を発ちました。

●江戸、深川芭蕉庵(現東京都江東区)
芭蕉は旅立ちの準備をすすめ、隅田川のほとりにあった芭蕉庵を引き払います。
「草の戸も 住み替はる代よぞ 雛の家」


●千住(現東京都荒川区/足立区)
3月27日明け方、舟に乗って出立し、千住大橋付近で船を下りて詠みます。
「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」
 ・『おくのほそ道』の出発地、千住宿

●日光(現栃木県日光市)
4月1日
「あらたふと 青葉若葉の 日の光」


●黒羽、雲巌寺、光明寺(現栃木県大田原市)
4月4日、黒羽を訪れます。
4月5日、雲巌寺に禅の師匠であった住職・仏頂和尚を訪ねます。
「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」

4月9日、光明寺に招かれて行者堂を拝します。
「夏山に 足駄を拝む 首途哉」


●那須の温泉神社、殺生石(現栃木県那須町)
4月19日、温泉神社に那須与一を偲び、殺生石を訪ねます。
「野を横に 馬牽むけよ ほととぎす」


●白河の関(現福島県白河市)
4月20日、「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」


●飯塚の里(現福島県福島市)
5月2日、飯坂温泉に宿泊しました。
「笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟」


●多賀城(現宮城県多賀城市)
5月4日、壺の碑(多賀城碑)を見て「行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて泪も落るばかり也」と涙をこぼしました。


●松島(現宮城県松島町)
5月9日、芭蕉は絶景に感動したあまりすぐに句が浮かばず、代わりに曾良の句を文末に置きました。
「松嶋や 鶴に身をかれ ほとゝぎす」(曾良)

一応、芭蕉本人も「嶋々や 千々にくだけて 夏の海」という松島の句を作っており、『蕉翁句集』に収められています。
また、「松島や さて(ああ)松島や 松島や」という句を芭蕉が詠んだという逸話が有名ですが、これは江戸後期の狂歌師 田原坊の作です。地元でも勘違いしている人がいるほど庶民に広がった逸話です。


●平泉(現岩手県平泉町)
5月13日、藤原3代の跡を訪ねて「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり」と述べ、
また杜甫の詩「春望」を踏まえて、「国破れて山河あり 城春にして草青みたり」と詠みました。
「夏草や 兵どもが 夢のあと」
「五月雨の 降り残してや 光堂」
 ・世界遺産 平泉に行ってきました 〜中尊寺


●尿前の関(現宮城県大崎市)
南下して出羽の国(秋田、山形両県)へ向かいます。5月14日、仙台藩の関所「尿前(しとまえ)の関」を通過し、山越えの厳しさに直面します。
「蚤虱 馬の尿する 枕もと」


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2021年04月06日

殿様知事

都道府県知事は、人事から事業承認にいたるまでほとんどの最終決定権を持っており、まさに現代の「殿様」といえます。志あるものはやはり知事に憧れるものだと思います。さて、本当に殿様(大名)の子孫が知事になった「殿様知事」は、現行の公選知事制度において6人います。以下、見てみましょう。


福島県知事 松平勇雄(まつだいら いさお、1907年〜2006年)
第10〜12代知事(3期就任:1976年9月〜1988年9月)
早稲田大卒。三菱商事、参議院議員などを歴任。

「新選組」でお馴染みの会津藩主松平容保(まつだいら かたもり、写真右)の孫。
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秋田県知事 佐竹敬久(さたけ のりひさ、1947年〜)
第17〜20代知事(4期就任:2009年4月〜現職)
東北大卒。秋田県庁職員、秋田市長などを歴任。
久保田(秋田)藩主佐竹家の分家・佐竹北家の21代当主であり、現職では唯一の「殿様知事」

戦国時代に佐竹義重(鬼義重)が常陸国を統一し佐竹氏全盛期を達成。しかし、関ヶ原の戦いで息子の
佐竹義宣(さたけ よしのぶ、写真右)は東軍、西軍のどちらに付くともいえない曖昧な態度を示し、これが家康の怒りを買い、久保田藩に移封。義宣は久保田藩初代藩主になります。
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千葉県知事 加納久朗(かのう ひさあきら、1886年〜1963年)
第3代知事(1期就任:1962年11月〜1963年2月、在職4ヶ月で急死)
東大卒。横浜正金銀行、住宅公団総裁などを歴任。

一宮藩最後の藩主加納久宜(かのう ひさよし、写真右)の子。
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愛媛県知事 久松定武(ひさまつ さだたけ、1899年〜1995年)
第2〜6代知事(5期就任:1951年5月〜1971年1月)
東大卒。三菱銀行、貴族院議員、参議院議員などを歴任。
知事時代に特産品のミカン栽培の振興に注力し、日本一(ニッポンイチ)のジュースになるようにという意味をこめて「ポンジュース」と名付けました。

松山藩主久松家の嫡流で、久松定謨(ひさまつ さだこと、写真右)の子。定謨はフランスに留学し、サンシール陸軍士官学校を卒業。そのとき、お付で渡仏したのが『坂の上の雲』でお馴染みの秋山好古でした。
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佐賀県知事 鍋島直紹(なべしま なおつぐ、1912年〜1981年)
第2〜3代知事(2期就任:1951年4月〜1959年4月)
九州大卒。農林官僚、佐賀県森林組合長などを歴任。

佐賀藩の支藩である鹿島藩主鍋島家の第15代当主。佐賀藩最後の藩主鍋島直大(なべしま なおひろ、写真右)の孫。
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熊本県知事 細川護熙(ほそかわ もりひろ、1938年〜)
第10〜11代知事(2期就任:1983年2月〜1991年2月)
上智大卒。朝日新聞、参議院議員、衆議院議員(後に首相)などを歴任。

細川忠興とガラシャ夫人の子である熊本藩初代藩主細川忠利(ほそかわ ただとし、写真右)の末裔。その凄すぎる血筋については以下。
藤原氏 ― 1300年間、日本の上流で踏ん張っている「超名門」
日本版ダ・ヴィンンチ、細川幽斎
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2021年01月05日

東海道の第一宿、品川宿

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貴重なことに昨年末、日本在住外国人への通訳ガイドの依頼がありました。
場所は旧東海道の品川宿で、実施は2月頃とのこと。そこで初詣も兼ねて下見に。

しかぁし。見事に緊急事態宣言が発令される運びになりました。おそらくこの仕事も溶けてなくなることでしょう。感染拡大防止のためには仕方がないとはいえ、残念でなりません(ノД`)・゜・ 
あまりに残念なので、撮った写真をアップし、ガイド用台本の一部を載せておきますっ!


みなさーん、東海道五十三次のひとつ品川宿は、江戸(日本橋)を出発して一番初めの宿場町でした。日本橋から2里(約8km)の距離です。加えて板橋宿(中山道)、内藤新宿(甲州街道)、千住宿(日光街道、奥州街道)とともに江戸四宿(えど ししゅく)のひとつに数えられた重要宿場町です。現在の北品川駅周辺が品川宿でした。写真の道が旧東海道です。

大家好。东海道五十三次之一的品川宿是从江户(日本桥)第一家旅馆站。从日本桥约8公里。而且它也是江户四宿之一。在北品川车站附近的这条商店街是旧东海道。
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shinagawa04.jpg沿道には神社やお寺がたくさん残っています。一番大きいのは品川神社(トップ画像)です。

沿途有许多历史悠久的神社和寺庙,其中最大是品川神社。




★外部リンク
旧東海道品川宿まち歩き(しながわ観光協会)


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2020年09月22日

善通寺

善通寺
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