2013年06月14日

百人一首52 藤原道信朝臣

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明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
 なほ恨めしき 朝ぼらけかな

★歌意
夜が明けてしまうとやがて日は暮れるもの、(そうするとまたあなたに逢えるはず)とはわかっていますが、それでもやはり恨めしい夜明け方ですよ。


★解説
女性の家に通って翌朝の別れを寂しがった「後朝(きぬぎぬ)の歌」です。
50番の後朝の歌はロマンチックですが、こちらは未練タラタラ感が強調されています。
「朝ぼらけ」は31番を参照。


★人物
藤原道信(ふじわら の みちのぶ、972年〜994年)
太政大臣・藤原為光の三男。親が偉いこともあって、彼も右兵衛佐→左近衛少将→左近衛中将・美濃権守とトントンと出世します。

加えて和歌に秀で、それでいて奥ゆかしい性格でしたが、当時流行していた天然痘にかかり23歳の若さで死去します。最終官位は従四位上。いい人ほど、若死してしまう気がします。


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2013年06月13日

百人一首51 藤原実方朝臣

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かくとだに えやはいぶきの さしも草
 さしも知らじな 燃ゆる思ひを

★歌意
このように(あなたを恋い慕っている)とさえも打ち明けることができないのですから、まして伊吹山のさしも草ではないが、それほど恋焦がれているとはご存じないことでしょうね。私の心の中で燃えさかる思いを。


★解説
「かくとだに」は、「このように(恋い慕っている)とさえも」の意。「だに」は、軽いものをあげて言外に重いものを推測させます。

「いぶき」は「言ふ」に「伊吹山」を掛けた掛詞。伊吹山は滋賀県米原市と岐阜県揖斐川町にまたがる山です。
「さしも草」は「よもぎ」の異名で、次に出てくる「さしも」の序詞。


★人物
藤原実方(ふじわら の さねかた、生年不詳〜999年)
花山・一条両天皇に仕え、従四位上・左近衛中将に至ります。しかし、995年に一条天皇の面前で藤原行成と歌について口論になり、暴力をふるいます。やられた行成は取り乱さず大人の振る舞いをしますが、行成は一条天皇の怒りを買い、「歌枕を見てまいれ」と命じられ、陸奥守に左遷されます。一方の行成は蔵人頭に抜擢されました。
999年、左遷先である陸奥国(東北地方)で乗っていた馬が突然倒れ、下敷きになって没しました。いつの世も「短気は損気」ということですね。

これだけ見るとトホホな感じですが、実は風流人で、清少納言の他20人以上の女性と交際していたそうです。それなりに楽しい人生だったんじゃないですかねぇ。


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2013年06月12日

百人一首50 藤原義孝

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君がため 惜しからざりし 命さへ
 長くもがなと 思ひけるかな

★歌意
あなたに逢うためには(どうなってもかまわないと)惜しくも思わなかった私の命までも、(逢うことのなかった今は)長く長くあってほしいなあと思うようになりましたよ。


★解説
「君がため」は、「あなたに逢って、深い仲になるためには」という意。
詞書には「女のもとより帰りてつかはしける」とあり、恋人に会った翌朝である後朝(きぬぎぬ)の歌です。
以前は別に長生きしたいとは思っていなかったのに、愛するあなたと深い仲になったら、いつまでも生きていたいと願うようになったよという歌です。
この歌をもらった女性はさぞかし嬉しいでしょうね。


★人物
藤原義孝(ふじわら の よしたか、954年〜974年)
太政大臣の謙徳公・藤原伊尹(45番)の三男。『大鏡』によれば、仏教への信仰心が篤く、出家の志があったそうです。また、かなりの美男子であったとか。当時流行した疱瘡にかかり、21歳の若さで死去してしまいます。


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2013年06月11日

百人一首49 大中臣能宣朝臣

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みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え
 昼は消えつつ ものをこそ思へ

★歌意
皇居の御門を守る兵士のたくかがり火の(夜は赤々と燃えて昼は消えている)ように、(私の心の恋の炎も)夜は燃え上がり、昼は心が消え入るばかり思い嘆くこの頃で、深い物思いに沈んでいることだ。


★解説
「みかきもり(御垣守)」は、皇居の多くの門を警護する人のこと。
「衛士」も兵士のことなので、「御垣守である兵士」のことを表します。
かがり火は夜は激しく燃えるものの、昼間は火がついておらず静かです。その対照的な様子は、まるで恋の炎の激情と憂鬱のようだと例えています。


★人物
大中臣能宣(おおなかとみ の よしのぶ、921年〜991年)
三十六歌仙の一人で、最終官位は正四位下・祭主・神祇大副。祭主というのは伊勢神宮の神官の長のことです。
「大中臣氏」も、中臣(藤原)鎌足の末裔です。中臣氏は代々、神事を司る家系でした。
鎌足の子・不比等が藤原氏となっていった一方で、中臣氏も神事を司る家系として残り、一部は「大中臣氏」になったんですね。


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2013年05月09日

百人一首48 源重之

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風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
 くだけてものを 思ふころかな

★歌意
あまりに風が激しいので、岩に打ち当たる波が打ち砕けるように、(しかも、あの人は岩のように冷淡で平気でいるのに)私一人だけが、さまざまに思い乱れて、恋の物思いに悩んでいるこの頃であることよ。


★解説
「いたみ」は形容詞「いたし」に接尾語の「み」が付いた形で、激しい様子を表します。
「おのれのみ」は、「私一人だけが」という意で、片思いに悩む男の切なさを歌っています。
冷淡な女性の感情を「岩」に例えています。おぉ、おっかない。


★人物
源重之(みなもと の しげゆき、生年不詳〜1000年頃)
清和天皇の曾孫にあたる清和源氏で、三十六歌仙の一人です。
相模権守、日向守など地方官を転々とし、最終官位は従五位下・筑前権守。官職には恵まれない人生でした。皇族の子孫でも臣籍降下した源氏や平氏の苦労が偲ばれます。


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2013年05月08日

百人一首47 恵慶法師

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八重むぐら しげれる宿の さびしきに 
 人こそ見えね 秋は来にけり

★歌意
生い茂ったむぐらなどの雑草がはびこっている、この寂しい宿(住居)に、人は誰一人として訪れては来ないが、それでもさすがに秋だけは訪れてきたことだなぁ。


★解説
「八重むぐら」は幾重にも茂ったむぐら(茜科のつる草)のこと。
「人こそ見えね 秋は来にけり」の「こそ〜ね」は係り結びで、
ここでは「〜けれども」と訳します。

詞書には「河原院にて荒れたる宿に秋来るといふこころを人々よみ侍りけるに」とあります。
河原院とは河原左大臣・源融(14番)の住居のことです。この歌が詠まれた10世紀後半には「八重むぐら」が茂るほど荒れ果てていましたが、名跡をたずねて多くの歌人が訪れていたようです。


★人物
恵慶法師(えぎょう ほうし、生没年不詳)
詳しいことはほとんど伝わっていません。播磨国(兵庫県南西部)の国分寺の仏典講師を務めていたようです。
大中臣能宣(おおなかとみ の よしのぶ)・紀時文(き の ときぶみ)・清原元輔といった中級の公家歌人と交流していたと言われています。


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