2013年11月13日

百人一首76 法性寺入道前関白太政大臣

tadamichi.jpg
わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの
 雲居にまがふ 沖つ白波

★歌意
大海原にこぎ出して眺めると、白い雲と見間違えるような沖の白波がたっていることよ。


★解説
「わたの原」→大海原。参議篁(11番)も歌いました。
「ひさかたの」→「雲居」にかかる枕詞。
「まがぶ」→見分けがつかなくなる。
「沖つ白波」→「つ」は「の」に当たる格助詞。


★人物
法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)(ふじわら の ただみち、1097年〜1164年)
tadamichi2.jpg摂政関白太政大臣・藤原忠実の長男。13歳で公卿に列し、25歳で関白に。摂政と太政大臣を2度も務めたTHE・時の権力者。別荘を法性寺の傍らに営んだので法性寺殿とも呼ばれました。
NHK大河ドラマ『平清盛』(2012年)では、武士の存在を見下すイヤ〜な役(演:堀部圭亮)で登場。しかし、彼と弟・頼長との対立が保元の乱(1156年)の一因となります。さらに、平治の乱(1160年)を経ると、内乱の収束に活躍した武士とりわけ平清盛が率いる平家が台頭してきます。

最終的にはあれだけ見下していた平家に恭順。息子の基実と清盛の娘を結婚させて、平家と縁戚関係を結びます。ただ、それも藤原摂関家を残そうとする意地や執念とも言えます。事実、彼らの血筋はこの現代に至るまで脈々と続いています。

経歴
;公卿前
10歳:元服。<正五位下>→侍従 11歳:右近衛権少将→右近衛中将→<従四位下>→
播磨 権守 12歳:<正四位下>
;公卿後
13歳:<従三位>→<正三位> 14歳:権中納言→<従二位> 15歳:<正二位> 18歳:権大納言→内大臣
22歳:左近衛大将 25歳:関白。 26歳:<従一位>→左大臣→(辞)関白。摂政。(続)左大臣
32歳:太政大臣。(続)摂政→(辞)太政大臣。(辞)摂政。関白 45歳:(辞)関白。摂政 
52歳:太政大臣。摂政(続) 53歳:(辞)太政大臣。(辞)摂政。関白 61歳:(辞)関白。 
65歳:出家 68歳:死去。


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2013年11月12日

百人一首75 藤原基俊

mototoshi.jpg
契りおきし させもが露を 命にて
 あはれ今年の 秋もいぬめり

★歌意
(「私がいる限りは頼みにせよ。」と)約束しておいて下さった、あのさせも草に置いた露のような、ありがたいあなたのお言葉を命としてきましたが、あぁ今年の秋も(望みが叶わないままに)むなしく過ぎていくようです。


★解説
「契りおきし」→約束しておいた。
「させもが露」→「させも」はさしも草(よもぎ)のこと。
「命にて」→命として、生きる力として。
「あはれ」→「あぁ」という感動詞。
「いぬめり」→「往ぬめり」と書き、「過ぎていくように思われる」の意。「めり」は推量の助動詞。


★人物
藤原基俊(ふじわら の もととし、1060年〜1142年)
藤原氏の主流である藤原北家の出身で藤原道長の曾孫でしたが、官位には恵まれまず、後に出家します。家柄が良くても出世できないことがあるのは、いつの世も同じようです。
源俊頼(74番)とともに歌壇の指導者として活躍しましたが、俊頼が革新的な作風であったのに対し、基俊は古風な作風を重んじて対立しました。

経歴
<従五位上>左衛門佐(?歳)→死去(82歳)


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2013年10月05日

百人一首74 源俊頼朝臣

toshiyori.jpg
憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
 はげしかれとは 祈らぬものを

★歌意
(私の恋ごころに対して)冷淡であった人を、(その人の心がこちらになびくようにと初瀬の観音にお祈りはしたのだが)初瀬の山おろしよ、(お前のように、冷淡さが)ますます激しくなれとは祈らなかったのになぁ。


★解説
「憂かりける人を」→私に対して冷淡であった人を。
「初瀬」→奈良県桜井市初瀬の長谷寺のこと。
「山おろし」→山から吹きおろす激しい風。
「祈らぬものを」→「ものを」は逆接の助詞で詠嘆の気持ちを含む。


★人物
源俊頼朝臣(みなもと の としより、1055年〜1129年)
源経信(71番)の子。篳篥(ひちりき)に優れ、堀河天皇近習の楽人として活躍。1124年、白河法皇の命により『金葉和歌集』を撰集。革新的な歌を詠み、当時の歌壇の中心的存在でした。公卿まで行かなくても存在感があった人物の好例。

経歴
<従四位上>木工頭(50歳)→越前介(55歳)→死去(74歳)


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2013年10月04日

百人一首73 前中納言匡房

masahusa.jpg
高砂の 尾上の桜 咲きにけり
 外山の霞 立たずもあらなむ

★歌意
(遠くの)高い山の峰の桜が咲いたことよ。(その美しい桜が見えなくなるから)里近い山の春霞よ、どうか立ち込めないでほしいものだ。


★解説
「高砂」→ここでは地名ではなく、砂が積もった砂山のこと。
「外山」→端の方の山、里近い山のこと。
「立たずもあらなむ」→立ち込めないでもらいたい。「なむ」は願望の終助詞。


★人物
前中納言匡房(大江匡房)(おおえ の まさふさ、1041年〜1111年)
おしどり夫婦として知られた赤染衛門(59番)と大江匡衡。その曾孫です。幼少の頃から神童のほまれが高く、儒学者としても力を発揮しました。
曾祖父の大江匡衡は大学者として有名でしたが、それでも官位は正四位下で公卿にはなれませんでした。大江家を盛り立てようと考えていた匡房は、一時昇進が止まって宮仕えを辞めようとしましたが、45歳で念願の公卿になります。その後は順調に出世していきました。

経歴(公卿前)
<従五位下>治部少丞、式部少丞(19歳)→蔵人(27歳)→左衛門権佐・右少弁も兼務(三事兼帯)(28歳)
公卿後
<従三位>(45歳)→<正三位>参議(47歳)→<従二位>権中納言(53歳)→大宰権帥(56歳)→
<正二位>(61歳)→大蔵卿、死去(70歳)


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2013年10月03日

百人一首72 祐子内親王家紀伊

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音に聞く 高師の浜の あだ波は
 かけじや袖の 濡れもこそすれ

★歌意
うわさに高い高師の浜の、むなしく打ち寄せる波を、うっかり袖にかけますまいよ。袖がぬれるかもしれませんので。――浮気で評判の高いあなたの言葉は心にかけませんよ。あとで袖が涙でぬれることになるといけませんから。


★解説
「音に聞く」→うわさに名高い。
「高師の浜」→大阪府堺市浜寺付近の海岸。地名と評判が「高し」の掛詞。
「かけじや」→思いを「かける」意と波を「かける」意。
「袖のぬれもこそすれ」→涙で袖が「ぬれる」意と、波で「ぬれる」意。


★人物
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい、生没年不詳)
後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。紀伊守藤原重経の妹(または妻とも)のため、この女房名が付けられました。家集を残すほど優れた女流歌人として有名だったようですが、伝記的情報はほとんど伝わっていません。


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2013年10月02日

百人一首71 大納言経信

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夕されば 門田の稲葉 おとづれて
 芦のまろ屋に 秋風ぞ吹く

★歌意
夕方になると、秋風が家の前の田の稲葉にそよそよと音をたてて吹き、その風が芦で葺いた仮小屋にも吹き渡ってくることだ。


★解説
「夕されば」→夕方がやってくると。
「門田の稲葉」→「門田」は家の前の田。
「おとづれて」→音をたててやってくる。
「芦のまろ屋」→芦で葺いた粗末な家。
「秋風ぞ吹く」→「ぞ」は強意の係助詞。


★人物
大納言経信(源経信)(みなもと の つねのぶ、1016年〜1097年)
詩歌・管絃に秀で、有職故実にも通じ、順調に出世した人生でした。
参議(51歳)→<従三位>東宮権大夫(53歳)→<正三位>(55歳)→<正二位>(61歳)→大納言(75歳)→大宰権帥(78歳)→死去(82歳)


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