
み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて
ふるさと寒く 衣打つなり
★歌意
吉野の山から秋風が吹き下ろしてきて、夜も更けて、この古い都であった里はいっそう寒くなり、(折しも砧で)衣を打っている音が寒々と聞こえてくることよ。
★解説
「み吉野」→「み」は美称の接頭語。奈良県吉野町あたり。
「さ夜ふけて」→「さ」も美称の接頭語。
「ふるさと寒く」→「ふるさと」は単に故郷という意味ではなく、古京・吉野のこと。
「衣打つなり」→石などの上で布を槌で打つこと。これで布は柔らかくなる。
★人物
参議雅経(飛鳥井雅経)(あすかい まさつね、1170年〜1221年)
難波頼経の次男。藤原北家から分派した飛鳥井家の祖。源頼朝・義経兄弟が対立した際、父・難波頼経は義経と親しかったため配流され、連座して雅経も鎌倉に護送されます。しかし、雅経は頼朝から和歌・蹴鞠の才能を高く評価され、頼朝の息子である頼家・実朝とも深く親交を結びました。
帰京してからは、後鳥羽上皇の近臣として重んじられ、歌壇でも活躍しました。和歌所寄人となり、勅撰和歌集『新古今和歌集』の撰者の一人にもなっています。さらに蹴鞠でも重んじられ、後鳥羽上皇から「蹴鞠長者」の称号も与えられ、飛鳥井流蹴鞠の祖になりました。
経歴
公卿前
10歳以降:侍従など 31歳:和歌所寄人
公卿後
48歳:<従三位> 50歳:参議
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