2015年04月21日

スカッとしないバトルファンタジー『ナイト・ウォッチ』

ロシアのファンタジー小説『ナイト・ウォッチ』(1998年、セルゲイ・ルキヤネンコ著)。ロシアでは300万部を売り上げ大ヒット。2004年に映画化もされ、これまた大ヒットしました。

この小説との出会いは、電車の吊革広告でした。表紙の美しさに心を惹かれて、買ってしまったのです。
つまりジャケ買いです。自分的には、本でこういったことはかなり珍しいです。それほど、このデザインは秀逸でした。
超能力に目覚めた人間が天空に舞い、眼下に広がるはるかな大地を眺める。そんなイメージです。

night_watch.jpg



敬愛する『ジョジョの奇妙な冒険』第38巻を彷彿とさせるものがありました。

jojo-kila.jpg


さて、肝心の内容についてはいろいろと言いたいことがあります。大まかなストーリーは以下。
人間として生まれながら特殊な超能力に目覚めた異種(アザーズ)たちは、“光の勢力”と“闇の勢力”に分かれ、長い間敵対してきた。しかし1000年前、ようやく休戦協定が結ばれ、以降、“光”と“闇”の勢力はお互いを監視しあうことで均衡を保ってきた。光が闇(ナイト)を監視するのが「ナイト・ウォッチ」(ナイト・パトロール)。一方、闇が光(デイ)を監視するのが「デイ・ウォッチ」(デイ・パトロール)と呼ばれる。

吸血鬼、魔法使い、闇の王などがわんさか出てきます。この単語の羅列を見れば、興奮必至のバトルファンタジーっぽく思えますよね。しかし、がっかりするほど違います。

日本によくある超能力モノは、手や目からビームは出るし、空は飛ぶし、ワープまでしちゃいますよね。もちろん、本作の登場人物たちもそれぐらいできます。できるのですが、休戦協定のときに「能力発動禁止条約」を結んでいるため、
ハデな能力合戦ができなくなっています

それでいて、“光の勢力”も“闇の勢力”も自分たちの勢力を拡大しようとしているため、裏で陰険なやり方で工作していきます。映画を見た人はわかると思いますが、見ていてとてもワクワクしません
せっかく超能力持っているのだから、もっとハデにやりましょうよ。といいたくなりますが、事情があってできません。

相手にばれないように工作する様子は、まるで冷戦時代のスパイ合戦のようです。近年でも、ロシア(というよりプーチン大統領)の外交政策は、予想を遥かにしのぐやり方です。こういう小説が大ヒットするというのも、ロシアの国民性を反映しているのでしょうか。


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2014年03月15日

ロシアの最高権力者「つるふさの法則」

ウクライナの政治危機に端を発し、プーチン政権がクリミア半島に軍事介入するなど緊迫するロシア情勢。
ソチではオリンピックが終了したものの、まだパラリンピックが開催中。クリミア半島はこのソチから近いところにあり、
世界情勢というのは本当に何が起こるかわかりません。

さて話は一転します。
割と有名な話ですが、ロシア(旧ソ連)の最高権力者は、頭がツルツルの次にフサフサ、さらにその次はツルツルが繰り返し選出されてきたのです。これは驚くべきことにレーニンから今のプーチンに至るまで、ずっと続いています
(後述:1回だけ例外がある)。これを世間では「つるふさの法則」と呼ばれています。以下、見てみましょう。

つる
ふさ
Lenin.jpgレーニン
1870年生
1917年〜1924年(最高指導者期間)
1924年没
Stalin.jpgスターリン
1878年生
1924年〜1953年
1953年没




Khruchchev.jpgフルシチョフ
1894年生
1953年〜1964年
1971年没



Brezhnev.jpgブレジネフ
1907年生
1964年〜1982年
1982年没
Andropov.jpgアンドロポフ
1914年生
1982年〜1984年
1984年没



CHERN.jpgチェルネンコ
1911年生
1984年〜1985年
1985年没
Gorby.jpgゴルバチョフ
1931年生
1985年〜1991年
Yeltsin.jpgエリツイン
1931年生
1991年〜1999年
2007年没
putin.jpgプーチン
1952年生
2000年〜2008年
medove.jpgメドベージェフ
1965年生
2008年〜2012年




putin.jpgプーチン
1952年生
2012年〜


1回だけ例外がある。ただし8日間だけ・・・
スターリンとフルシチョフの間に、実はマレンコフというフサフサの人物が最高指導者に就任しています。つまり、この「つるふさの法則」は一回崩れているわけです。
しかし、マレンコフが最高指導者に就いていた時期は、1953年3月6日〜3月13日のたったの8日間だけ。これは「つるふさの法則」を崩さないために空気を読んでフルシチョフに座を譲ったのではないかとまことしやかに言われています。


あまりに法則通りで、世界中が驚いている
ほぼ例外なく「つるふさの法則」が続いていることに世界中が驚いており、英『タイムズ』紙でもこの法則を用いてロシアの政治を分析したことがあります。メドヴェージェフが大統領選に立候補したとき、「プーチンがツルツルだったから次はフサフサの人物が勝つ。つまり、メドヴェージェフが大統領になる」とジョークを交えて分析していました。


レーニンの前もこの法則が生きている
レーニンからソ連が始まったわけですが、その前のロシア帝国時代はどうだったかというと、これまた「つるふさの法則」が生きています。レーニン(つる)←ニコライ2世(ふさ)←アレクサンドル3世(つる)←アレクサンドル2世(ふさ)←ニコライ1世(つる)。

ロシアという国は、私たちの常識を超えた力学で動いているんですね。きっと。


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2011年03月24日

正教会4 東西教会の分裂後に続く苦難の道

前回見てきたように、キリスト教は東方教会と西方教会で溝が深まっていましたが、1054年に東側のコンスタンディヌーポリ総主教ミハイル1世キルラリオスと西側のローマ教皇レオ9世が相互破門することで、東西教会の分裂は決定的になります。
この分裂はキリスト教史上最大規模のもので大シスマ(大分裂の意味)と呼ばれています。

ちなみに、ギリシアを中心とした正教会は「ギリシア正教」、ローマを中心としたカトリックは「ローマ・カトリック」と呼ばれることがあります。今もギリシアやスラブ社会に正教徒が多いのはこの名残です。

さて、東西教会は分裂後どうなったか。なんと立場は逆転し、これまで隆盛を極めた正教会(東方教会)は苦難の道を歩むことになり、反対に日陰の存在だったカトリック(西方教会)はヨーロッパ文明の精神的な支配者になっていくのです。

正教会にとって苦難の始まりは、後ろ盾だった東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされてしまったことでした(1453年)。イスラームのオスマン帝国はキリスト教の信仰を一応は認めましたが、厳しい弾圧を加えました。コンスタンティノープルはイスタンブルに改名され、アヤソフィア(聖ソフィア大聖堂)はイスラームのモスクになってしまいます。当然、信者の数は激減しました。

しかし、こうした時代にも正教会を国教として盛り上げていた国があります。それはロシアです。東ローマ帝国滅亡時のロシアには、モスクワ大公国がありました。これまでのロシアは、しばらくモンゴル帝国(キプチャク・ハン国)の末裔たちに苦しめられていましたが、この頃はようやく勢いを盛り返してきた時期です。
とくに名君の誉れ高いのがイヴァン3世です。彼は1472年、最後の東ローマ帝国皇帝コンスタンティノス11世の姪であるソフィヤ・パレオロークと再婚し、この出来事がロシアを大きく変えていきます。

blago.jpgソフィヤはギリシア生まれでしたが、東ローマ帝国が滅亡したときはローマに亡命していました。ですから、洗練されたイタリア文化、伝統あるギリシア文化(ビザンツ文化)に囲まれて育ちました。ところが嫁ぎ先のロシアときたら、寒いわ、文化も未発達だわ、モンゴル人に戦々恐々だわで大いに驚いたそうです。
こうしたなかイヴァン3世は、ソフィヤが持ち込んだイタリア文化、ビザンツ文化に大いに興味を持ちます。彼はイタリア人の建築家や技術者を呼び寄せて、モスクワのクレムリン内にビザンツ式の宮殿や教会を建設していきます。そうしてできたのが、ウスペンスキー大聖堂、ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂、アルハンゲリスキー大聖堂などです。

文明の辺境だったロシアに最先端のビザンツ文明がやってきた。おかげで「正教会は素晴らしい」ということになるのは自然の流れです。以後、ロシアは正教会を国教とし、「東ローマ帝国の後継者」を自負していきます。この流れは、後のロシア帝国においても同様です。
「ロシア正教」が正教会の代名詞のように語られるのもそれだけ存在感が大きいからです。そして、このロシアから聖ニコライが日本にやってきて正教会を伝道し、今の日本ハリストス正教会につながっているわけです。

しかし、近現代に入って正教会にまた苦難がやってきました。正教会が普及していた東欧・ロシアで共産主義(社会主義)が台頭するのです。偶像崇拝が徹底的に禁止され、スターリンにいたっては救世主ハリストス大聖堂を爆破します。正教会の復興は、共産主義の崩壊を待たなければなりませんでした。


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ラベル:キリスト教
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2011年03月19日

テルミン2 映画にもなった数奇すぎる人生

テルミン ディレクターズ・エディション [DVD] / レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン, クララ・ロックモア, ブライアン・ウィルソン, トッド・ラングレン (出演); スティーブン・M・マーティン (監督)レフ・テルミン博士の数奇すぎる人生は、1993年にドキュメント映画になり、日本でも話題になりました。テルミンという埋もれていた楽器が見直されるようになったのも、この映画がキッカケです。

レフ・テルミンは、楽器以外にも盗聴器、テレビ、センサーなどさまざまなものを発明した「天才」でした。しかし、その才能は、20世紀の東西冷戦期に政治の道具として利用されてしまうのです。

彼は回顧録も残していますが、どれが真実か、実はわかりません。以下、年表で見ていきます。

1896年、レフ・テルミンは、帝政ロシアのサンクトペテルブルクで、法律家の父セルゲイと母エフゲーニャの間に生まれます。 後に回顧録で「母親の子宮にいたときの記憶もある」と述べています。天才性を物語るエピソードのひとつです。
母の影響で音楽に親しみ、高校在学中にペトログラード音楽院でチェロを学びます。
1914年、ペトログラード大学に入学。物理学と天文学を専攻しましたが、第一次世界大戦の影響で高等軍事技術専門学校に編入します。

1917年、ロシア革命では赤軍に参加。1922年、ソ連建国後、ペトログラード物理工科大学で主任研究者として就職。そこで電磁場の現象を発見し、これを応用して1920年に楽器「テルミン」を発明。1921年、同僚の妹で医学生であった、エカテリーナと結婚します。

Dr_termin.jpg1922年、ウラジミール・レーニンに招かれ、レーニンの前でテルミンを演奏し、感激したレーニンもテルミンを演奏します。

1928年、楽器「テルミン」の演奏会のために渡米。ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団と共演。
米国滞在は10年に及び、この間、テルミン楽団を結成したり、研究所をつくったり、最初の妻と離婚しバレエ団のプリマであるラヴィニア・ウィリアムズと結婚したりします。

総じて、ここまでは順風満帆の人生だったといえます。

1938年、ソ連に帰国。しかし、実際はなんとKGBに拉致されての帰国でした。
そして「反革命組織への参加」の罪で逮捕されます。その後、ブトイルカの収容所に投獄され、さらにはシベリアで強制労働をさせられます。

そして、科学者や技術者が強制的に研究開発をさせられる特殊収容所で、数々の研究開発(爆撃機や盗聴機など)を命ぜられていました。ショッカーに拉致された科学者が仮面ライダーを作り出したわけですが、本当にそんなことをさせられていたことに驚きます。

1947年、刑期は終了しましたが、引き続きKGB管轄の秘密研究所で仕事を強いられます。この年に当時26歳のマリアと結婚し、双子の娘をもうけます。

1964年、ようやく秘密研究所から解放されて、モスクワ音楽院の音楽音響研究所で研究員として働きます。1967年にはモスクワ大学物理学部の音響学研究室で実験機器の製作に従事します。

ソ連末期、ペレストロイカにより再び国外にでることが可能になったので、1991年米国を再訪し、数々の演奏会を開催します。また、かつての妻ラヴィーナ・ウィリアムズを探しましたが、1989年にすでに他界していました。

その後ロシアに帰り、ソ連崩壊から約1年後の1993年にモスクワにて他界。97歳でした。

ロシア革命→→→ソ連建国→→→東西冷戦→→→ソ連崩壊というロシア現代史に翻弄された人生であることは間違いないのですが、ブレない強い意思も感じます。政治的圧力も、彼の忍耐強さと才気には敵わなかったのではないでしょうか。

なお、映画『テルミン』の配給元のアスミックのサイトに詳しい情報があります。

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2011年01月25日

『坂の上の雲』のボリスにアカデミー助演賞を

『坂の上の雲』第2部もおもしろかったですね。ただ、日露戦争がはじまったと思ったら、続きの第3部は1年後ですよ。待ち遠しいですねぇ。

さて、『坂の上の雲』にはスター級の豪華キャストが勢ぞろいなのですが、その人たちでなくてもキラリと光る演技をしている俳優たちもたくさんいます。

images.jpgなかでも注目は、ロシア海軍のボリス・ビルキツキー(演:アルチョム・グリゴリエフ)です。この人劇中ではかませ犬ポジションですが、表情がまさに「かませ犬」なんです(失礼)

素でこの顔なのか、演技でこの顔なのか。いつも涙を目に貯めているような顔をしています。演技だとしたら、アカデミー助演男優賞を上げてもよいのでは。

ゲイリー・オールドマンが狂気をはらんだ演技を行いますが、このボリスはまさに哀しみをはらんだ演技です。

ネット上でもかませ犬っぷりが人気のボリスですが、ライバルであり親友の広瀬武夫(wiki)が戦死したとき、その死体を弔うシーンで
「さよならタケオ」といって、別れを告げるシーンは『坂の上の雲』第2部屈指の名シーンでした。


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司馬遼太郎の原作。「日本人とは何か?」を巡る思想の旅のひとつとして書かれた作品。
 ・なぜ司馬遼太郎は戦中を舞台にした小説を書かなかったか

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2008年12月31日

ロシア史 年代別記事一覧

ハザール (7世紀〜10世紀)


キエフ大公国 (882年頃〜1240年)


ノヴゴロド公国 (1136年〜1478年)


キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス) (1242〜1502年)
『大旅行記』レビュー キプチャク・ハン国スルタンに謁見する


モスクワ大公国 (1263年〜1721年) ※1480年にキプチャク・ハン国から独立
正教会4 東西教会の分裂後に続く苦難の道

:ロマノフ朝 (1613年〜1917年)


ロシア帝国 (1721年〜1917年) ※ロマノフ朝
・ナポレオン、ロシア遠征に失敗 ― さかのぼりスペイン史3 長く続く混乱の時代へ
・聖ニコライが日本にやってきて正教会を伝道 ― 正教会1 ニコライ堂に行ってきました
・日露戦争 ― 『坂の上の雲』のボリスにアカデミー助演賞を


ソビエト連邦 (1917年〜1991年)
・ハンガリー動乱 ― 『竜馬がゆく』における坂本龍馬のモデルはハンガリー人の青年!
テルミン2 映画にもなった数奇すぎる人生


ロシア連邦 (1991年〜)
スカッとしないバトルファンタジー『ナイト・ウォッチ』



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