2011年05月27日

日本におけるK-POP6 活動中の女性アーティスト

現在、日本で活動中のK-POP女性アーティストをまとめてみました。

★表について
年:日本デビュー年/主なアルバム:Amazonへリンク。アルバムがない場合はシングル/人数:現状におけるメンバー数/Wiki:Wikipedia当該項目へリンク/公式:日本語公式サイトへリンク/曲:代表曲のYouTube動画へリンク

アーティスト名Photo主なアルバム人数Wiki公式
2011

AFTERSCHOOL

(アフタースクール)

afterschool.jpgBang!(韓国盤)9W
2011

2NE1

(トゥエニィワン)

2NE1.jpg2NE14W
2010少女時代少女時代.jpgGIRLS'GENERATION9W
2010

KARA

(カラ)

kara.jpgガールズトーク5W
2010

Brown Eyed Girls

(ブラウンアイドガールズ)

brown.jpgSOUND-G4W
2010

4minute

(フォーミニッツ)

4minute.jpgDIAMOND5W
2001BoABoA.jpgIDENTITY1W



★関連記事
日本におけるK-POP
 ・1 前史:韓国演歌(トロット)の時代
 ・2 黎明期(90年代前半)
 ・3 「S.E.S.」早すぎた日本進出
 ・4 挑戦期(2000年代前半)
 ・5 成長期と今後の行方
 ・6 活動中の女性アーティスト
 ・7 活動中の男性アーティスト
韓国史 年代別記事一覧
posted by すぱあく at 07:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

日本におけるK-POP5 成長期と今後の行方

たいていのブームというのは、花火のようにパッと派手に打ち上がって、その後は跡形もなく消えるものです。
しかし、韓流ブームは息の長いブームになりました。やはり支えているのがオバ様たちというのが大きいですね。流行に左右されにくく、適度にお金を持っています。
また、ブログ、SNS、YouTubeなどが登場したことで、情報が一気に拡散したことも大きかったと思います。
「韓流」はそれなりに時間をかけて日本に浸透し、K-POPも2000年代後半にようやく成長期を迎えます。

2008年に東方神起(05年に日本デビュー)のシングルが初めてオリコン1位になり、
ここから怒涛のK-POP日本進出ラッシュが続きます。
●2008年
Super Junior(スーパージュニア)が日本デビュー
●2009年
BIGBANG超新星SHINee(シャイニー)が日本デビュー
●2010年
4minute(フォーミニッツ)、KARAブラウンアイドガールズ少女時代2PM(ツーピーエム)、FTIsland(エフティー・アイランド)、ZE:A(ゼア)、SM☆SH(スマッシュ)、U-KISS(ユーキッス)が日本デビュー
●2011年
BEAST(ビースト)、チャン・グンソク2NE1(トゥエニィワン)、MBLAQ(エムブラック)、
大国男児(だいこくだんじ)、AFTER SCHOOL(安室奈美恵とコラボ)が日本デビュー

normandy.jpgちょっと凄すぎですね。
ノルマンディー上陸作戦かよ!!

この勢いはしばらく続くと思います。短期的には日本芸能市場のシェアの何割かはK-POP勢に奪われるかもしれません。





toho.jpgしかし、近い将来にきっと停滞期を迎えると思います。
その引き金になるのは、東方神起やKARAが起こした
所属事務所との労働争議です。韓国芸能界でこれらの問題は、しばらくの間増えることはあっても減ることはないと思います。

なぜこういった問題が起こるのでしょうか。K-POPファンから見たら「所属事務所が守銭奴だからだ」と思うでしょう。嫌韓ネットユーザーから見たら「韓国人はお金にがめつい」と思うかもしれません。
私が思うのは、芸能事務所が経験値不足で対応しきれていない。
また、成功と利益を優先し、労働環境の整備を後回しにしているからだと思います。

そもそも、K-POP最大手のSMエンターテインメントでさえ設立約15年(1995年設立)の若い企業です。
つまり、韓国芸能界全体が若いベンチャー企業のようなものといえます。
労働環境や法令遵守を棚上げにして成長を最優先にする。日本でもかつて、光通信やライブドアが急成長したときに同様の問題が原因でおかしくなりました。

比較材料として、日本の吉本興業を見てみます。同社はすでに設立約100年(1912年設立)の歴史を誇っています。創業から現在に至るまで無数のトラブル(暴○団との関係、所属タレントのスキャンダル、同業他社との死闘、旧経営陣との主導権争い・・・etc)を経験してきたと思います。この経験の中で対策マニュアル、労働環境の整備、法令遵守の精神などが培われていったのではないでしょうか。100年と15年、この経験値の差は歴然です。

sunny.jpgまた、SMエンターテインメントは創業者である李秀満(イ・スマン)会長の影響力が今も強大です。そのため、規模は大企業でも家族経営の延長のようなところがあります。
たとえば、少女時代のサニーは、李秀満(イ・スマン)会長の姪(兄の娘)です。
これは例えれば、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長の親族が、SMAPや嵐のメンバーにいるようなもの。日本ではなかなか考えられないことです。


70年代〜90年代、北欧スウェーデンの音楽が世界中を席巻したことがありました。
ABBA、ヨーロッパ、ロクセット、エイス・オブ・ベイス、イングヴェイ・マルムスティーン、カーディガンズetc・・・。音楽的には大国です。
音楽の質の高さがあったのは言うまでもありませんが、同国が福祉先進国であったことも大きかったと思います。アーティストたちは安心して音楽活動に専念できたのではないでしょうか。

私も韓国の友人と交流してみてわかったことですが、皆アグレッシブで外向的気質でした。
そして「ウリナラ(我が国)の文化は世界一ニダ」自己主張もかなり強いと感じました。
アグレッシブなことは海外市場の開拓に重要ですが、所属アーティストの労働環境、法令遵守を整備できるかどうかで、K-POPの未来は大きく変わると思います。


★関連記事
日本におけるK-POP
 ・1 前史:韓国演歌(トロット)の時代
 ・2 黎明期(90年代前半)
 ・3 「S.E.S.」早すぎた日本進出
 ・4 挑戦期(2000年代前半)
 ・5 成長期と今後の行方
 ・6 活動中の女性アーティスト
 ・7 活動中の男性アーティスト
韓国史 年代別記事一覧
posted by すぱあく at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

日本におけるK-POP4 挑戦期(2000年代前半)

日本市場開拓の尖兵として韓国芸能界の期待を背負ってやってきたS.E.S.
1998年に日本デビューを果たしますが、パっとせずに撤退するはめに。

Suman.jpegこの結果にもっとも衝撃を受けたのは、S.E.S.の所属事務所SMエンターテインメントの李秀満(イ・スマン)会長でしょう。
「韓国芸能界最強のS.E.S.でダメなら、どうやったら日本市場を開拓できるのか」。きっと途方に暮れたと思います。
そして、「とにかく長期的ビジョンでやっていこう」と戦略を立て直します。

このイ・スマン会長の経歴は華やかです。ソウル大学出身で、70年代はフォークソング歌手として成功し、80年代後半から90年代前半まではテレビ司会者やラジオDJとして多くの番組を担当していました。そして、1995年にSMエンターテインメントを設立し、ティーンエイジ層の開拓に力を入れます。なかでも男性アイドルグループH.O.T.をヒットさせ、このH.O.T.は中国における韓流ブームの火付け役になりました。

さて、イ・スマン会長は、日本で活躍できる人材を育成するため、ある小学生をスカウトします。彼女には2年をかけて歌にダンスに、そして英語と日本語まで厳しくレッスンさせます。その結果、歌って踊れて日本語でトークもできるハイスペックのアーティストが誕生します。それがBoAでした。

VALENTI (CCCD) [Enhanced] / BoA, DABO (CD - 2003)さらに、吉本興業やエイベックスと共同で日本での活動拠点「SMジャパン」も設立します。このように万全の準備を整えた上で、2001年にBoAは日本デビューを果たします。SMエンターテインメントはBoAの育成と日本進出の準備のために5億円以上を投じました。まさに社運をかけたプロジェクトでした。

BoAは日本語が流暢なため歌番組にもバラエティにも出演し、知名度を急速に広めます。セールスも絶好調で、その後の活躍ぶりはご存知の通りです。悲願であった日本での成功がようやく実現します。

その後、2002年に日韓共催ワールドカップが開催。2003年から『冬のソナタ』に端を発した韓流ブームが起こり、韓国芸能界にとっては追い風が吹きます。この風に乗って、多くのK-POPミュージシャンが日本デビューを果たします。
ところが、そのほとんどが失敗します。まだまだ日本市場の壁は高かったのです。2000年代前半に日本デビューした韓国人アーティストの状況を見てみます。

神話(シンファ) 2001年日本デビュー
日本ではじめて本格的に活動した6人組の男性アイドルグループ。短命なグループが多いなか10年以上にわたって活動している珍しいグループ。現在はメンバーの兵役などがあり、ソロ活動が中心で、日本での活動も少なくなっています。

route0(ルート・ヨン) 2002年日本デビュー
route0.jpgsuyong.jpg当時12歳のチェ・スヨン(左)と高橋麻里奈(右)によるユニット。オーディション番組『ASAYAN』の企画により、河村隆一プロデュースでデビュー。シングルを3枚出しますが約1年程度の活動で終了します。しかし、スヨン少女時代のメンバーとして現在バリバリ活躍中です。



yunna.jpgユンナ 2004年日本デビュー
日本語が流暢なため、結構活躍します。「ほうき星」(アニメ「BLEACH」エンディング曲)はいい曲です。最近は韓国を中心に活動。2007年に国土交通省韓国親善大使。


イ・スヨン 2004年日本デビュー
「オリコンで1位になるまで帰国しない」という意気込みでデビューしますが、日本語が出来ないためメディア露出がほとんどなく、シングル1枚出したのみで日本から撤退します。

sugar.jpgSugar(シュガー)  2004年に日本デビュー
ホリプロと契約して日本進出。ちょくちょくバラエティに出てましたがパッとせずに2006年に解散。イ・アユミ(一番右)は日本出身で母語は日本語。現在、エイベックスからICONIQ(アイコニック)に改名して再デビュー。過去の経歴がマイナスに働くと考えたのかSugarのアユミとはまったく別人として活動中ですが、周知の事実です。

JEWELRY(ジュエリー) 2004年日本デビュー
女性グループ。日本ではビーイング系のGIZA studioに所属し、5枚のシングルを発表。主にアニメの主題歌としてタイアップしていました。やはりパッせず2005年に日本から撤退。韓国では復帰後も活躍中。

リナ・パーク 2004年日本デビュー
韓国系アメリカ人で歌唱力の高いシンガー。2002年日韓共催ワールドカップのときに、CHEMISTRY(ケミストリー)と共に「Let's get together now」をリリース。日本では2007年以降、目立った活動はしていません。

jyonhyon.jpgイ・ジョンヒョン 2004年日本デビュー
個人的には2000年の中国留学中に最もハマッていたK-POP歌手。実際、中国での人気も凄かった。ガンガンのテクノサウンドに甲高い声でシャウト。小指にマイクをつけ、大きな扇子を振り回してダンスをする様は非常にインパクトがありました。女優としても評価が高く、韓流ドラマ「美しき日々」にも出演。このドラマがNHKで放送されたことが縁で2004年の紅白歌合戦に出場を果たします。ただ、これはNHKの勇み足でした。視聴者からは「この人は誰? なぜ紅白に出ているの?」の状態でした。加えて、その後の日本での展開も失敗に終わります。NHKがこの後、K-POP歌手の紅白出場に慎重になっているのは、このイ・ジョンヒョン姉さんが原因と思われます。

天上智喜(てんじょうちき、現・天上智喜The Grace) 2006年日本デビュー
4人組の女性グループ。日本ではシングル7枚出し映画の主題歌にもなりましたが、2009年後半以降の活動はありません。

Wax(ワックス) 2006年日本デビュー
韓国では出す曲すべてがヒットするトップ歌手でしたが、日本では残念な結果に。

U;Nee(ユニ) 2006年日本デビュー 
日本でシングル1枚発表。2007年に仁川(インチョン)の自宅で首つり自殺をはかり他界してしまいます。ネットユーザーによる誹謗中傷に悩み、うつ病だったといわれています。享年25歳。

これだけの韓国アーティストがデビューしていたとは、日本人のほとんどが知りません。K-POPの先輩たちの数多くの失敗が貴重なデータとして蓄積され、KARAや少女時代の活躍につながっているといえます


★関連記事
日本におけるK-POP
 ・1 前史:韓国演歌(トロット)の時代
 ・2 黎明期(90年代前半)
 ・3 「S.E.S.」早すぎた日本進出
 ・4 挑戦期(2000年代前半)
 ・5 成長期と今後の行方
 ・6 活動中の女性アーティスト
 ・7 活動中の男性アーティスト
韓国史 年代別記事一覧
posted by すぱあく at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月23日

日本におけるK-POP3 「S.E.S.」早すぎた日本進出

今回は90年代後半のお話です。1997年、韓国は金融危機に陥り、IMF(国際通貨基金)の管理下に置かれます。経済復興が急務になりますが、国土の小さい韓国には資源がありません。
「外貨をどうやって稼ぐか」。彼らは未成熟ながらコンテンツ産業による海外展開を考えます。
ターゲットは中国市場、次に日本市場、いずれは世界各国へというビジョンでした。

私が留学していた2000年当時、中華圏ではすでに韓流ブームを迎えていました
テレビをつければ韓国ドラマがやっており、街のCDショップにもK-POPのCDが多くありました。

「中国市場の開拓は成功した。次は日本市場だ!!」そんなことを考えていたと思います。
日本市場開拓の尖兵を担ったのは、当時人気絶好調だったS.E.S.でした。

ses02.jpgS.E.S.は、1997年にデビューした女性3人組のガールズグループです。男性アイドルが中心だった韓国芸能界の中で、はじめて本格的に成功したガールズグループです。
メンバーは
ユジン(左)、パダ(中)、シュー(右)。シューは日本出身で日本語も堪能です。

彼女たちの成功に刺激され、Fin.K.L(ピンクル)、Baby V.O.X(ベイビーボックス)、Sugar(シュガー)、Jewelry(ジュエリー)などが続々と登場し、今のKARA、少女時代につながっていきます。

そして1998年、韓国芸能界の期待を背負って日本デビューを果たします。この頃は「週刊少年マガジン」といった少年誌のグラビアを飾ったり、「THE夜もヒッパレ」などにも出演していました。

しかし、残念。韓流ブーム以前の日本では韓国芸能への関心が低く、ほとんど注目されないまま撤退します。

「Dreams Come True」なんかは名曲でしたよ。

韓国語版→英語版→少女時代によるカバー→T-araによるカバーと編集された貴重な動画

ses03.jpg2002年に解散後、メンバーはそれぞれソロ活動をしていました。
時は流れて今年の4月、シューがプロバスケットボール選手と結婚。その結婚式で久々の3ショットが見られました。
少女だった3人も来年でなんと30歳に。時が流れるのは本当に速いものです。


シュー(左)、ユジン(中)、パダ(右)



★関連記事
日本におけるK-POP
 ・1 前史:韓国演歌(トロット)の時代
 ・2 黎明期(90年代前半)
 ・3 「S.E.S.」早すぎた日本進出
 ・4 挑戦期(2000年代前半)
 ・5 成長期と今後の行方
 ・6 活動中の女性アーティスト
 ・7 活動中の男性アーティスト
韓国史 年代別記事一覧
posted by すぱあく at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

日本におけるK-POP2 黎明期(90年代前半)

一時期、隆盛を極めた韓国演歌(トロット)の人気はしだいに凋落し、90年代以降は若者が好むポップスが台頭します。こうした動きは日本と同様です。そして、これが現在のK-POPにつながっていきます。

今回は、「日本におけるK-POP」の黎明期を見ていきます。
時代はまだ積極的な日本進出を行う前の90年代前半です。わずかながら日本で注目された韓国アーティストがいました。


続きを読む
posted by すぱあく at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

日本におけるK-POP1 前史:韓国演歌(トロット)の時代

日本でデビューするK-POP(韓国ポップス)の勢いが止まりませんね。
K-POPはダンスミュージックやラップが多く、とにかくノリノリで中毒性が高いのが特徴です

戦後60年以上経った今でも、日本と韓国の間にはさまざまな問題(領土問題、歴史問題、在日問題、嫌韓など)があります。しかし、韓流やK-POPといった文化交流は、これらを超越して交流できる可能性があります。そこで今回は、韓国音楽の歴史を紐解くことで、今まで見えなかった側面を発見していきたいと思います。

日本における韓国音楽を考えるうえで重要なのが、韓国演歌(トロット)の存在です。
つまりキム・ヨンジャ、チョー・ヨンピル、ケイ・ウンスクといった人たちです。
トロットは本当に日本の演歌とメロディが似ています。歌詞の内容も男女間や家族間の情愛をテーマにしたものが多く、これも演歌に近い部分です。

大正期〜終戦まで
日本とトロットとの関係はかなり古く、大正時代にまでさかのぼります。
1910(明治43)年、大日本帝国が大韓帝国を併合して以降、日韓内での人的往来が活発化しましたが、その中には芸能関係者もいました。大正時代に日本のレコード会社は、韓国市場に向けて朝鮮語によるレコードを発売を開始します。
そして、昭和に入ってから本格的に韓国市場の開拓に乗り出します。1928年にビクター、1929年にコロムビア、1931年にポリドール・タイヘイレコードが進出し、トロットのレコードを発売していきました。

1932年、蔡奎Y(チェ・ギュヨプ)が日本でヒットした『酒は涙か溜息か』(作曲:古賀政男)を韓国語でカバーしヒットします。ちなみに、古賀政男(当時は日本コロムビア所属)は明治大学を卒業していますが、幼少期は韓国の京城で成長しています。
また、人気歌手であった日本のディック・ミネも三又悦(サムヨル)名義で韓国語のジャズナンバーを発表しています。

その後、韓国内ではさまざまなトロットのヒット曲が出ますが、張世貞(チャン・セジョン)の『連絡船の歌』のように、日本統治への反発を込めた歌などもヒットしました。
しかし、太平洋戦争の戦局が悪化する頃は、日本当局の介入が激しくなりました。

終戦後
1945年日本の敗戦により朝鮮半島は開放され、1948年に南側に大韓民国が樹立されます。初代大統領の李承晩(イ・スンマン)は『酒は涙か溜息か』のような日本ルーツの楽曲も含めて、日本文化を発禁にします。その後、しばらく日韓の文化交流は断絶します。

isonne.jpg1965年に日韓国交正常化が実現します。それから10年以上たった1977年、日本に渡ってきた李成愛(イ・ソンエ)『カスマプゲ』(胸がせつない)をヒットさせ、人気歌手となります。日本で人気が出た韓国人歌手第1号です。

ベスト : 釜山港へ帰れ / チョウ・ヨンピル, チョー・ヨンピル, 堀内孝雄 (CD - 1995)続いて活躍するのがチョー・ヨンピル(趙容弼)です。1987年〜1990年の4年連続で紅白歌合戦に出場を果たしました。また、彼のヒット曲『釜山港へ帰れ』は渥美二郎によるカバーも大ヒットしました。




キム・ヨンジャ全曲集 / キム・ヨンジャ (CD - 2009)ソウルオリンピックが開催された1988年に、日本で再デビューしたキム・ヨンジャ(金蓮子)も活躍しました。1989年に紅白歌合戦に初出場してから、計3回出場を果たしました。





番外 桂銀淑(ケイ・ウンスク)
スーパーベスト・コレクション / 桂銀淑, 堀内孝雄, 浜圭介 (CD - 1999)桂銀淑(ケイ・ウンスク)も日本で活躍した韓国人歌手ですが、あまりに波乱に満ちた人生を送ったので別枠にしました。1984年に来日し、1985年に日本デビュー。以来『すずめの涙』『夢おんな』『酔いどれて』『真夜中のシャワー』『ベサメムーチョ』『夢おんな』など次々とヒット曲を連発し、数々の音楽賞を受賞します。1988年、紅白歌合戦に初出場して以降1994年まで7年連続で出場します。1992年には韓国人実業家と結婚。まさに順風満帆の人生でした。

しかし、その後がスゴイ。2億5500万円という巨額の借金を巡って所属プロと衝突し、契約を打ち切られます。事務所からは返済を求める裁判を起こされ、これが原因でテレビの露出はゼロになります。さらに夫とは離婚し、更年期障害やうつ病に苦しみます。こうした心労が原因になったのでしょうか、覚せい剤に手をだし2007年に現行犯逮捕されます。この罪により、国外退去処分となり、現在はソウルにいます。KARAの脱退騒動が可愛く見えるほどスキャンダラスな人生です

さて、次回からK-POPがいかにして日本に入ってきたかを見ていきます。それでは、また。


★関連記事
日本におけるK-POP
 ・1 前史:韓国演歌(トロット)の時代
 ・2 黎明期(90年代前半)
 ・3 「S.E.S.」早すぎた日本進出
 ・4 挑戦期(2000年代前半)
 ・5 成長期と今後の行方
 ・6 活動中の女性アーティスト
 ・7 活動中の男性アーティスト
韓国史 年代別記事一覧
posted by すぱあく at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。