中尊寺です。
平泉一帯は9世紀頃から大和政権の支配下に入り、莫大な金が産出したことで重要性が急速に高まります。
平安時代後期になると、藤原清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)、泰衡(やすひら)の4代にわたり奥州藤原氏の本拠地として発展。同時期の鎌倉が人口10万人だったところ、平泉は5万人、最盛期は10万から15万人もいたと推計されているほど、その繁栄は驚異的なものでした。
・奥州藤原氏を描いた大河ドラマ『炎立つ』
しかし、最盛期を築いた秀衡が1187年に死去。泰衡が当主になりますが、1189年源義経を匿ったことから源頼朝の追討を受け、奥州藤原氏は滅亡してしまいます。下の写真は中尊寺にある弁慶堂。源義経に最期まで従った弁慶を偲び、江戸時代に再建されたお堂です。
その後の平泉は急速にさびれ、時は流れて江戸時代前期の元禄2(1689)年5月13日、かの俳人 松尾芭蕉が平泉を訪れます。奥州藤原氏が栄華を極めたはずの場所が田野となっている有様を見て、詠んだのが以下。
夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡
The summer grass- It is all that's left of ancient warriors dreams
夏日的草地 - 一切都是古代武士们梦想的痕迹
また朽ちかけていたものの、かろうじて光を残す中尊寺金色堂に対しても、以下を読み上げました。
五月雨の 降残してや 光堂
So the rains of spring fall and fall, yet leave untouched this bright Hall of God
春天的大雨破坏无遗,却没有触动这个明亮的金色堂
中尊寺の境内は広大で坂や階段を上った先に金色堂があります。教科書に載っているあの黄金の金色堂は撮影禁止なので、それを収納している覆堂を撮影しました。実物はぜひ現地で見て、芭蕉とともに奥州藤原氏の栄華に思いを馳せてください。
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