かねてより行ってみたいと思っていた奈良県の平城宮跡に、ついに行ってきました。写真は1998年に復元された
朱雀門です。
「なんと(710年、南都)ステキな平城京」。710年に藤原京から大和国に遷都。794年、京都の平安京に遷都するまでの84年間、古代日本の都がここだったのです。そして、歴史的に「奈良時代」と呼ばれています。
その後、京都・平安京は1000年を超える都として繁栄した一方、パイセン格である奈良の平城京さんはすっかり影が薄くなってしまいます。すでに9世紀の頃には農地になってしまい、長らく忘却の彼方となっていました。
●平城宮跡地整備までの長い歴史
◎江戸時代
・江戸時代の末、奉行所の役人であった北浦定政が自力で平城京の推定地を調査。水田の畦や道路に街の痕跡が残ることを見つけ、「平城宮大内裏跡坪割之図」にまとめた。
◎明治時代〜大正時代
・関野貞、喜田貞吉などによる研究がおこなわれ、奈良時代の都の姿が次第に明らかにされる。
・棚田嘉十郎や溝辺文四郎など地元の人々を中心に「平城宮址保存会」「奈良大極殿址保存会」が設立される。
◎昭和時代
・昭和34年(1959年)奈良文化財研究所による継続的な発掘調査が開始される。
・昭和53年(1978年)「平城宮跡保存整備基本構想」が策定。その後の保存整備はこの基本構想を指針として進められる。
◎平成時代
・平成10年(1998年)朱雀門、東院庭園の復原が完成。
・同年、平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録される。
・平成20年(2008年)平城宮跡を国営公園として整備することが閣議決定される。
・平成22年(2010年)第一次大極殿の復原が完成。平城遷都1300年祭開催。
・平成30年(2018年)平城宮跡管理センターを開設、「朱雀門ひろば」が開園。
◎令和時代
令和4年(2022年)大極門(第一次大極殿院南門)の復原が完成。
これが平城宮のパノラマ風景。奥に見えるのが朱雀門です。見事に何もありません。ただ、忘却され埋もれていた跡地をよくここまで戻したものです。上記にある通り、長い長い年月をかけて発掘・保存してきた情熱に感動します。
●平城宮跡の全景
朱雀門周辺も十分広いですが、これは平城宮跡の一部にすぎません。朱雀門をくぐると、広大な跡地が広がっており最深部には第一次大極殿(2010年復元)があります。
途中に線路が見えますね。これは近鉄奈良線。開設したのは1914年と古く、当時からここが平城宮跡であったことは明らかになっていましたが、世間の注目も薄く、ここに敷設しても長らく問題視されませんでした。ただ、保全活動が本格化した現在、移設し地下化することが検討されています。
今後も復元計画は続いていく平城宮跡。奈良の都が火の鳥のようによみがえることに期待がふくらみます。
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