
一方で、その内容は、かな〜〜〜〜り重苦しいものでした。一人で胸に閉まっていると気がふさぐので、ブログに書いた次第です。
シリア内戦で追われた難民がヨーロッパになだれ込み、現在のEUは受け入れ容認と反対に真っ二つに分かれています。もともとEUは、二度の世界大戦と冷戦の反省から、経済統合し、国境を廃し、豊かな経済圏を作ろうという理想で組織されたわけです。その理想が今、危機に瀕しているという。
●ドイツの世論が真っ二つ
難民の受け入れに難色を示す国が多い中、例外的に寛容なのがドイツです。ドイツはヒトラーのナチス政権時にユダヤ人を迫害し、多くの難民を発生させた反省から、メルケル首相の元、受け入れ政策を推進しています。
しかし当然、受け入れに反対する人もいます。中でも旧東ドイツのドレスデンには、とりわけ反対派が多いといいます。反対デモに参加していたあるお父さんの台詞がなんとも言えません。
「1990年、東西ドイツが統一したとき、そりゃ〜素晴らしい未来がやってくると想像したもんです。しかし、不況は一向に改善せず、生活は苦しいまま。それなのに、なぜ私たちの税金が難民救済に使われなきゃならんのです?」
彼は過激派でもネオナチでもなく、本当に普通のお父さんでした。それだけに感情移入しやすく、問題の深刻さが理解しやすかったです。
●東ドイツ テラ オソロシス (( ;゚Д゚))
旧東ドイツ(ドイツ民主共和国、DDR)は、第二次世界大戦の終結後に出現した「分断国家」です。戦争にはさまざまな悲劇が生まれますが、家族や親せきが別の国に分かれてしまう、この「分断国家」も大きな悲劇です。ドイツの他では、朝鮮半島やベトナムがありました。この2地域はさらに悲惨で、朝鮮戦争(1950年〜1953年)とベトナム戦争(1960年〜1975年)という同族で殺し合うところまで行きました。ドイツはそれがなかっただけ、幸いだったといえます。
しかし、社会主義・共産主義国家だった旧東ドイツがハッピーな国だったかといえば、そんなことは決してありません。小説『プラハの春』

登場人物の一人にユルゲン・ヘス中佐というのが出てきます。彼は「シュタージ」と呼ばれる悪名高い秘密特務機関の工作員です。シュタージは、徹底した監視態勢で東ドイツ国民を恐怖のどん底に叩き落としました。その恐ろしさは、ナチスのゲシュタポ、ソ連のKGBさえもしのぐと言われています。
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そんな恐怖政治が終わって、1990年にドイツが統一したわけですから、そりゃ嬉しかったでしょう。これからの未来はバラ色だと。
しかし、現実はそうなっていないんですね。戦争はほとんどなくなり平和になったものの、世界は富めるものと、そうでないものとにハッキリわかれつつあると番組では述べていました。
★外部リンク
・U2のボノ、難民危機について解決しない限り「ヨーロッパが終わる」と語る(NME JAPAN)
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ドイツ在住の著者ならではの視点が重要。日本からドイツを見ると、まさに「隣の芝生は青く見える」が、現実はかなり混迷を極めていることがわかります。
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ラベル:ユダヤ