ギリシア人の友人がいるわけではないので、すべてメディアから得た印象に過ぎないのですが、なんか国民に危機感がないような、そんな感じを受けてしまいます。あれだけの観光資源があって、どうしてそうなるの? そのお金何に使ったの?
私たちのような歴史ファンにとって、ギリシアは別格の存在です。文明の発祥地であり、ギリシア神話であり、100万のペルシア軍に立ち向かった300人のマッチョマンたちであり、シュリーマン「古代への情熱」であり、聖闘士星矢であるわけで・・・。
要するに、もうちょっとがんばってギリシアさん。(ノД`)・゜・。
応援していたスターが落ちぶれたら悲しいでしょ。それと似たような気分ですから・・・。
「昔はスゴかったのに・・・」って言われちゃいますよ。実際スゴかったんだけど。しかも、スゴいのレベルが“神の領域”でした。この「アンティキティラ島の機械」を見れば、誰だってそう思います。
1901年、「それ」は発見された

何だか歯車のような模様があるものの、腐食が激しくて良くわかりません。「なんかのオモチャじゃね?」程度に思われていました。
ただ、同じ場所から見つかった他の遺物から、紀元前150年〜100年頃の物体であると推測されます。その頃のギリシアは、すでに共和制ローマの支配下にあった時代です。歴史的遺物ということでアテネ国立考古学博物館に保管されましたが、重要視されず長い間研究室に放置されていました。
プライス博士の研究で世界から注目されることに
そんなある日、ひょんなことからデレク・デ・ソーラ・プライス博士の目に留まります。博士は何十年にもわたってこの物体を洗浄し、研究を進めました。この物体には、古代ギリシア文字で暦に関する記述や星座名、目盛りなどが刻まれていることから、天体観測の装置ではないかと以前から考えられてきました。
プライス博士はこの推測を発展させ、「時計の起源」に当たる存在と考えます。時計の製造技術が飛躍的に向上したのは13世紀のこと。15世紀になってゼンマイによる蓄積できる動力が発展していきます。紀元前にあったとしたら驚くべき技術力です。
プライス博士はさらに研究を進めて、1956年に論文を発表。「この機械は恒星と惑星の動きを計算するための装置であり、最古のアナログコンピュータである」という説を展開したのです。それってもうオーパーツやオーバーテクノロジーの類じゃね? 当然ながら人々は驚き、「アンティキティラ島の機械」は一躍有名になりました。
科学技術によってわかってきた内部構造

この研究結果を元に、プライス博士は復元品を制作。その結果、目盛りを動かす事で太陽、月さらに惑星の運行まで算出できる「天体観測儀」であると結論付けました。
写真左はプライス博士と復元品です。あぁ本当に「機械」だ(驚愕)。
ギリシア人、紀元前にこんなもん作ってたの? その頃の日本なら土器が精一杯でしょうよ。
プライス博士は1983年に死去しますが、その後も研究は続けられ、現在は「アンティキティラ島の機械研究プロジェクト」によって大規模な研究がなされています。このプロジェクトによって、2006年に構造上のほぼすべてが解明されました。
ただ、これほど高度なものをどうして紀元前に作れたのか? 誰が作ったのか? 誰がその知識を授けたのか?などはもちろん謎のままです。
それにしてもギリシア人すごいですね〜。これだけのもの作れたのなら、経済危機なんてちょちょいのちょいと解決できそうなもんですけどねぇ。それとも、力を紀元前で使い果たしちゃったのでしょうか。大学受かったら、無気力になってしまう学生みたいに。とにかく頑張れ、ギリシア!!
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