忍者は“Ninja”として海外でも人気があります。なぜここまでニンジャが人気なのでしょうか。(画像:Seth W.)
スパイアクション&”東洋の神秘”
まずひとつに考えられるのは、「007」のようなスパイ小説の影響です。ジェームズ・ボンドの人並み外れた身体能力はまるで”忍術”ですし、”手裏剣”のような道具はボンドの秘密兵器に近いです。そして、一人で巨大な組織に立ち向かうという設定も「007」とニンジャ映画の両方に共通しています。
ジェームズ・ボンドは、1953年、イギリスの作家イアン・フレミングのスパイ小説『カジノ・ロワイヤル』によって、はじめて登場しました。その後、好評のため「007シリーズ」として続き、1962年にはショーン・コネリー主演で『ドクター・ノオ』が映画化されます。
これに続くセカンド・インパクトとしてブルース・リー(李小龍)が登場しました。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』(1973年)の設定は、少林寺のカンフーマスターがスパイとしてラスボスの島に潜り込むというもので、「007」の影響が色濃く反映されています。これに西洋人が抱いている「東洋の神秘」であるカンフーが加わり、映画は大ヒット。ブルース・リーも世界的俳優になります。
これ以降、「東洋の神秘」は欧米人にとって新しい創作のネタとなります。そして、いよいよニンジャが登場するのです。
アメリカ独自のニンジャ文化
1980年にアメリカの小説家エリック・ヴァン・ラストベーダーが『ザ・ニンジャ』を発表します。おそらく本作が、海外で初めてのニンジャ小説と思われます。ストーリーは、日本人の血を引くニンジャの主人公が組織のスパイや敵忍者と戦うアクションもので、もちろん史実の忍者とはかけ離れていますがアメリカ人のハートをわしづかみにします。
そしてこの後、アメリカのニンジャ文化は、もはや日本から離れて独自の発展を続けていきます。
1981年には映画『燃えよニンジャ』が公開され、ここに敵忍者としてショー・コスギが出演していました。今ではケイン・コスギの父としても有名ですね。
コスギは日本から単身アメリカに渡り、数々のオーディションを受けるも、言葉の壁などにぶつかり鳴かず飛ばずが続いていました。それが『燃えよニンジャ』の演技が評価されて以降は、主役ニンジャも務めることになり、全米でニンジャ・ブームが巻き起こるほど大ヒットしました。もちろん日本人として初めてのアクションスターとなります。
残念なことに、ショー・コスギの主演映画のほとんどが日本では未公開です。現実とかけ離れた日本観が満載でB級色が強いため、日本ではヒットしないと敬遠されているからだと思います。
この他、1981年にはRPGの原点といわれる『ウィザードリィ』が発売されます。このゲームでは、キャラクターの職業に「侍」(Samurai)や「忍者」(Ninja)が登場しました。
1984年にはアメコミ『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』が発行され、後にアニメ、実写映画化され世界中で大ブームになります。現在では、忍者が主人公のマンガ『NARUTO -ナルト-』(岸本斉史)の人気がすさまじいものになっています。
そして今日に至るまでニンジャは、ときには世界を救うヒーローとして、ときにはジャパニーズ・ヤクザの用心棒として無数の作品に登場しています。
昼間から黒装束を着てビルからビルへ飛び回るニンジャの姿は、日本人から見たら奇妙奇天烈ですが、それもまたひとつの“日本文化”といえるでしょう。
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