
今回は、そんな超人のひとり、エドウィン・ハッブル(1889年〜1953年)のお話です。
エドウィン・ハッブルは天文学者です。彼を知らない人でも、彼の名を冠した「ハッブル宇宙望遠鏡」という単語をニュースで耳にしたことがあるかもしれません。
太陽系から遠く離れた宇宙を観測するとき必ず使われているのが、この「ハッブル宇宙望遠鏡」です。

大きさはバスほどもある巨大な望遠鏡で、大気や天候による影響を受けないため、地上からでは困難な高い精度での天体観測が可能です。
なぜ、この望遠鏡にハッブルの名前が付けられたか?
それは宇宙の膨張を発見したのがハッブルだったからです。その理論をさらに裏付けるためにこの望遠鏡が作られ、実際にそれが観測結果から得られました。あのアインシュタインでさえ「宇宙は収縮しているかも」と思っていたので、ハッブルはまさに宇宙研究の歴史を変えた超天才といえます。
しかも、ハッブルは運動面においても超人でした。なんと彼は、研究者になる前はヘビー級のボクサーだったんです。そう言われてもにわかに信じられないですよね。
彼は若い頃とにかくスポーツ万能で、高校のときには円盤投げ、ハンマー投げ、棒高跳び、立ち高跳び、走り高跳び、砲丸投げ、1マイルリレーで1位を獲得したほどです。
高校卒業後はシカゴ大学に入学。そこでボクシングと出会い、ヘビー級ボクサーとして名を轟かせます。しかも、単なる部活動のレベルではなく、世界チャンピオンとの対戦を勧められたほどの実力でした。
加えて学業面でも才能が開花します。大学では主に数学と天文学を学び、1910年に卒業後はイギリス・オックスフォード大学に移り、法学の修士号を取得します。欧米なら珍しくないのかもしれませんが、
少なくとも日本では、理系と文系の両方の学位を持つ人は稀です。
彼は、オックスフォード時代にも大学対抗のトラック競技に出場したり、ボクシングの試合に出場したりしていました。さらに、卒業後はアメリカに戻り、法律事務所に勤めたり、高校教師やバスケットボールのコーチなどをしていました。アクティブすぎだし、多才すぎ。
さらにさらに、第一次世界大戦が始まると軍隊に入隊し、間もなく少佐となります。よくわかんないけど、少佐ってそんなに簡単になれるもんなの?
戦後は、シカゴ大学のヤーキス天文台で天文学の研究に入り博士号を取得します。1919年に、ウィルソン山天文台職員となり、後にここで宇宙研究の歴史を変える発見をします。
1923年から1924年、当時世界最大の望遠鏡であった100インチ (2.5m) のフッカー望遠鏡による観測で、銀河系のさらに外にも銀河があることを発見します。そして、この研究が後のビッグバン理論につながっていくのです。
理系のドクターっていうと青白いひ弱な印象があるのですが、ハッブルはまったく別次元の存在という感じがします。やはり、天才は違いますね。
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