2014年08月09日

タイトーの創業者はユダヤ人!?

invader.jpgタイトーといえば、ゲームなどで有名な会社。社会現象を巻き起こした
「スペースインベーダー」をはじめ、「アルカノイド」「影の伝説」「バブルボブル」「電車でGO!」といった名作ゲームを数多く、世に出してきました。

これだけ有名な会社なのですが、創業者が実はユダヤ人であることはほとんど知られていません。タイトーも会社概要にそのことを掲載していません
ユダヤ人というと何かと陰謀論に結び付けられてしまうのを避けているのかもしれません。
ただ、この創業者の人生を見ていくと、陰謀論を出されても仕方がないほどガッツリ歴史的事項に関わっています。会社としては大きくフィーチャーしたくないかもしれませんが、創業者の波乱万丈のストーリーは、歴史ロマンに溢れています。さっそく、タイトーの創業物語を見ていきましょう。


ウクライナ生まれのユダヤ人
タイトーの創業者は、ウクライナ(当時はロシア帝国)出身のユダヤ人ミハエル・コーガン(1920年〜1984年)。ウクライナといえば、現在、ロシアとの紛争で世界を騒がせている国です。コーガンは、1917年に起こったロシア革命の混乱を避けるため、日本の傀儡国家だった満州国のハルビンに移住しました。

当時のハルビンには、コーガンのような極東ユダヤ人が多く住んでいました。そして、彼らはイスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しようという「シオニズム」を熱心に推進していました。コーガンもそのひとりです。
後にイスラエルが建国(1948年)され、ユダヤ人としてはめでたしなわけですが、元からいたパレスチナとは今なお紛争しています。タイトーがあまりユダヤ色を出したくないのも、なんとなく分かります。

さて、コーガンはこのシオニズム運動を通して、日本の特務機関(スパイ)の人物たちと仲良くなります。とくに極東ユダヤ人の保護に奮闘していた安江仙弘(やすえ のりひろ)大佐と親交を深めました。

当時の日本では、極東ユダヤ人を保護しようという「河豚計画」(ふぐけいかく)というのがありました。これは人道的な立場からというよりも、ユダヤ人の豊富な資金が目当ての計画でした。なにせ満州国は、国とは呼べないほど内部崩壊が進んでおり、その延命が目的だったのです。

ただ、安江仙弘は、人道的にユダヤ人を保護しようとしていた人物です。そんな姿にコーガンは心動かされ、親日家になります。そして1939年、19歳のときに来日。早稲田経済学院で貿易実務を学びます。また、ロシア文学者の米川正夫の家に下宿し、ドストエフスキーの著作の翻訳を手伝いました。
ところが1941年、コーガン21歳のときに麻雀賭博罪で逮捕されてしまします。連座して米川正夫まで逮捕され、ソ連のスパイ容疑で取り調べを受けます。幸い釈放されますが、日本がとても陰惨だった時代を象徴する出来事です。
コーガンが本当に麻雀好きだったのかはわかりませんが、後にゲームの会社を設立するのですから、興味深いです。


太東貿易株式会社を創業
1950年、コーガン29歳のときに輸入会社「太東洋行」を起業します。
「太東」とは「極の猶人」、つまり「極東のユダヤ人」という意味です。「タイトー」という社名にそんな意味が込められていたとは驚きです。
1953年、太東貿易株式会社に改名。タイトーではこの年を創業年にしています。ウオッカの醸造・販売、ジュークボックス、パチスロ、ピンボールゲーム、クレーンゲームなど、同社が日本で初めて行ったものはかなりあります

1954年、コーガン33歳のとき、かつて親交のあった安江仙弘の葬儀を行います。安江はソ連軍に逮捕され、1950年にハバロフスクで死亡していたのです。まだ葬儀が行われていないことを知り、在日ユダヤ協会あげて、彼の葬儀を行いました。
安江は将校の立場でしたから、敗戦後いち早く帰国できたのですが、「日本をこのようにしてしまったのは、我々の責任だ。俺はその責任を取る。ソ連が入って来たら拘引されるだろうが、俺は逃げも隠れもしない」と言ったそうです。関東軍の高級将校の多くは、同朋を見捨てて日本へ逃げ帰った輩が多かったので、こんな人物がいたとは驚きです。
日本政府もさぁ、こういう人こそ、もっと有名にしてあげましょうよ。でも難しいでしょうね。だって、その逃げ帰った輩の子孫たちが政治家とかやっているんですもの。安江のようなカッコいい存在は、隠したいのが本音だと思いますよ


「スペースインベーダー」が社会現象に
invader02.jpg1972年、コーガン52歳のとき、商号を現在の株式会社タイトーに変更します。そして1978年、「スペースインベーダー」が大ヒットし、社会現象になりました。ゲームセンターだけでなく、喫茶店や駄菓子屋にも筐体が設置され、子供から大人までがゲームに熱中したのです。
同年にマンガ『ゲームセンターあらし』(すがやみつる)が始まったことで、さらにブームに拍車をかけました。タイトーおよび、コーガンが巨大な利益を上げたのは言うまでもありません。

「スペースインベーダー」は、日本だけでなくアメリカでも大ヒット。コーガンの海外出張も増えていきました。そんな中の1984年、アメリカ出張中だったコーガンは心臓発作により死去してしまいます。享年64歳でした。

Kogan.jpgちなみに、コーガンは人前に出ることが好きではなかったらしく、顔写真がほとんど残っていません。あるとしたら、タイトーのゲーセンで使われていたメダルの肖像画かな。

その他以下の本には、貴重な彼の写真が載っています。


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安江仙弘の長男が、父の事績をまとめた書籍
ラベル:ユダヤ
posted by すぱあく at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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