6月14日の4:00から前大会決勝のスペイン VS オランダという好カードが行われ、サッカーファンは熱狂したことと思います。タレント不在と言われていたオランダでしたが、5得点の大爆発。これだからワールドカップは凄いんだよなぁ。
さて、オランダ代表のユニフォームは基本的にオレンジ色です。クライフのときも、ベルカンプのときも、今のロッベンもそうです。なぜオレンジ色なのか? それはオランダ人にとって、オレンジ色は民族の根幹に関わるほど重要な色だからです。
オレンジのことをオランダ語ではオラニエといいます。元々、南フランスにオラニエという地方があり、それが12世紀頃から神聖ローマ帝国の小さな公国になりました。
ところが、オラニエ公には跡継ぎがいなかったため、今のオランダ当たりにいた親戚が跡継ぎになります。その家系はオラニエ=ナッサウ家と呼ばれ、「オラニエ公=オランダ」というイメージが定着しました。ちなみに、今のオランダ王室もオラニエ=ナッサウ家です。
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代々オラニエ公というのはたくさんいましたが、オランダ人にとっての民族的英雄と思われるのはオラニエ公ウィレム(ウィレム1世、1533年〜1584年)でしょう。
当時、オランダやベルギー当たりの地域はネーデルラントと呼ばれていました。ネーデルラントは、1477年にハプスブルク家の領土となります。その後、ハプスブルク家は婚姻関係によってスペイン国王も兼務。強大な軍事力で、ネーデルラントに圧制を敷きました。
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●オランダ独立戦争
スペインの圧制に反対するネーデルラントの市民は、1568年オラニエ公ウィレムを中心に団結し、独立戦争を開始します。
1579年、北部ネーデルラント7州はユトレヒト同盟を結成し、1581年にはネーデルラント連邦共和国の独立を宣言します。このとき以来、北部の有力州だったホラント州にちなみ、外国からは「オランダ」と呼ばれるようになりました。
さらに、この頃からオラニエ=ナッサウ家を象徴する色彩としてオレンジ色が使われるようになりました。
独立以後も、それを認めようとしないスペインとの戦争は続きます。軍事力でオランダは劣勢でしたが、スペインもオランダだけを相手にするわけには行かない事態になります。カトリックとプロテスタントの宗教戦争がヨーロッパ全土に飛び火し、1618年から三十年戦争が勃発したのです。
この混乱の中でスペインの勢力拡大を阻止したいイギリスがオランダを支援し、ついに停戦にまで持ち込みます。そして1648年、三十年戦争の講和条約であるウエストファリア条約(ヴェストファーレン条約)の中にオランダ独立も盛り込まれ、国際的にもスペインからの独立を果たしました。ちなみに、この独立戦争は80年間にわたって行われたので、八十年戦争とも呼ばれています。
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スペイン VS オランダ。かつて独立をかけて戦った国同士。そしてオレンジ色。サッカーの試合でもその想いを重ねている国民は多いでしょう。
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