2014年02月01日

わずかにあるジャーディン・マセソンの研究書

ジャーディン・マセソンは日本でも大きな影響を与えながら、現在ではすっかり過去のものになっています。
この理由の一つは、研究書がほぼ皆無ということです
本来であれば、ジャーディン・マセソン横浜支店(英一番館)には膨大な数の商業記録があったはずですが、太平洋戦争や関東大震災によって、ほとんど消失してしまいました。

とはいえ、香港本社や上海支店には日本から送られた文書が大量に残されており、それらの資料のうち20世紀初頭までの分は、1935年にジャーディン・マセソンからケンブリッジ大学図書館へ寄贈されました。日本軍による中国侵略が激しくなっていた時期なので、資料の流出を防ぐための措置だったのかもしれません。

ケンブリッジ大学にあるこの史料を研究すれば相当のことがわかるわけですが、閲覧・利用のための条件はかなり厳しいです。
・申請時、研究者であれば所属大学の学長の紹介状が必要。
・コピーは数枚ならOKだが、大量の場合は不可。ノートを取るしかないが、膨大な量なので全部となるとイギリスに長期滞在するしかない
・著作物を発表する場合は、許可が必要。

以上の条件をクリアできる日本の研究者はほとんどおらず、そのため研究書が乏しいわけです。
それでも、この難事業をクリアした日本人研究者はわずかにいたのです。それが石井寛治東京大学名誉教授(1938年〜、現75歳)です。

石井教授は1977年3月(当時39歳)から翌年9月までの20ヶ月間、イギリスに留学しました。彼はこの期間全部を費やして、なんとケンブリッジ大学にあるジャーディン・マセソンの史料を全部ノートに書き写してきたのです。下宿先から自転車を飛ばして大学図書館に行き、朝10時から18時30分までず〜っと書き写し、それを20ヶ月間続けたとのこと。なんという情熱!! まさに人間賛歌!! そして生まれた著書が以下です。
開国当時の日本が列強諸国に対抗できたのは、ジャーディン・マセソンら外国商人との貿易によって、資本蓄積を実現できたからではないかと石井教授は述べています。


さらに東大出版会からは、以下の研究書も発行されています。こちらはケンブリッジ大学にあるジャーディン・マセソンの史料のうち、中国における活動を調べたものです。

どちらも情報量は凄まじく、上記2冊でジャーディン・マセソン研究は相当進んだと考えられます。
しかし残念ながら後続の研究者がいないため、ジャーディン・マセソンは日本では依然としてマイナーなんですね。

あとあるのは陰謀論。
例えば、『龍馬の黒幕』(加治将一)では、グラバー(マセソン商会・長崎代理人)が龍馬を影から操り、明治維新を実現させたと述べています。さらには「すべてはフリーメーソンの仕業だったんだよ!!」、「なんだってキバヤシ〜!?」の展開で、さぁ大変。これはこれで面白いけどね。

元外務官僚の原田武夫氏は陰謀論否定者。ロスチャイルド家会員制サイトに正面から取材し、ジャーディン・マセソンのことにも触れています。「1838年ロスチャイルド家は、ジャーディン・マセソンを中国マーケットにおける代理人として指名した」とさらっととんでもないことを書いてます。本当かよ!? 本人は陰謀論否定者なんだけど、Amazonレビューを読むと世間様からは「そっち系」と思われている様子。

一方、英語で書かれた書籍は山のようにあります。もしかしたら、単純に日本人らしく言語が研究の壁になっているだけかもしれません。
The Thistle and The Jade: A Celebration of 175 Years of Jardine, Matheson & Co.
Jardine Matheson: Traders of the Far East
A Business in Risk: Jardine Matheson and the Hong Kong Trading Industry


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posted by すぱあく at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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