ファミリーの創始者
ウィリアム・ジャーディンには5人の兄姉がいました。父が死去した後、彼の兄が家族を支え、ウィリアム・ジャーディンの学費を捻出しました。
・ジャーディン・マセソン商会 創業物語
そして、姉もいて彼女の孫にあたる人物が、ウィリアム・ケズウィック
(1834〜1912)。ケズウィック・ファミリーの創始者です。直系ではないものの創業者の一族であり、このファミリーによって今もジャーディン・マセソンが経営されています。
スコットランド生まれの彼は21歳のときに香港に到着し、その後ジャーディン・マセソン商会上海支店で働きます。1859年、25歳のとき、日米修好通商条約により開港した横浜に行き、ジャーディン・マセソン商会横浜支店(英一番館)を設立しました。そして、1863年、29歳のときに長州ファイブのイギリス留学を支援しました。
・長州ファイブをロンドンにいざなったジャーディン・マセソン商会
日本に深く関わっているのに教科書に載っているわけではないので、誰も彼のことを知りません。
学校教育が何を基準に「重要」と決めているのか、イマイチわからない好例です。ジャーディン・マセソンを語るとき、陰謀論が生まれる理由もここら辺にあります。
第二次世界大戦期
ウィリアム・ケズウィックの孫がジョン・ケズウィック。第二次世界大戦期、欧米列強や日本軍による中国進出が最も激しかった時代に、ジャーディン・マセソン商会上海支店(中国本店)を担っていました。当時は、同社もイギリス政府の諜報活動に関わっていたとされています。
1949年に中華人民共和国が建国されたため、ジャーディン・マセソンは中国大陸からの撤退を余儀なくされます。阿片戦争以来、中国大陸で着々と築き上げてきた支店網はすべて中国共産党政府によって接収され、以後は香港オフィスがアジア戦略の拠点となります。
香港を拠点に発展
創始者ウィリアム・ケズウィックのひ孫に当たるのがヘンリー・ケズウィック。1963年にマンダリン・オリエンタル香港を開業した人物です。
・現在も鋭意展開中のジャーディン・マセソン
また、組織体制を現在の形に整備したのも彼です。1988年には、持株会社「ジャーディン・マセソン・ホールディングス」をロンドンに設立し、ロンドン市場とシンガポール市場に上場しました。
ヘンリー・ケズウィックの弟が、サイモン・ケズウィックで後にグループのトップに就きます。彼がトップのときに、李嘉誠が敵対的買収を仕掛けてきました。きっと肝を冷やしたことと思います。
・李嘉誠の登場 ― 香港の歴史が変わった瞬間
そして今
サイモン・ケズウィックの息子であるベン・ケズウィックが、傘下企業のディリーファーム、ホンコンランドの要職を歴任した後、2012年からトップを務めています。
「同族経営は日本企業の悪しき伝統」などと言われるときがありますが、どっこいジャーディン・マセソンは創業から今に至るまで180年にわたって同族経営を行っています。いやはやスケールがでかすぎます。
★関連企業
・ジャーディン・マセソン年表
・イギリス史 年代別記事一覧
・日本史 年代別記事一覧
・中国史 年代別記事一覧