それが長州ファイブ(長州五傑)です。
メンバーは、井上聞多(井上馨)(当時28歳)、遠藤謹助(当時27歳)、山尾庸三(当時26歳)、伊藤俊輔(伊藤博文)(当時22歳)
野村弥吉(井上勝)(当時20歳)。
カッコつけて「長州ファイブ」といっているわけではなく、彼らが留学したユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大学最古のカレッジ)に顕彰碑が建てられており、そこに「Choshu Five」と刻まれているのです。
江戸幕府によって出国が禁止されていた時代にあって、
前回ご紹介した長州藩主・毛利敬親の命を受け、密出国によってイギリス留学を実現させたのです。
2006年、彼らの留学生活を描いた『長州ファイブ』が映画化されているので、それを見るととてもわかりやすいです。
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そこは世界で最も発展し、最も強大な大英帝国。5人が見たロンドンの風景はどんなものだったでしょうか?
あまりの発展ぶりに驚愕し、攘夷(外国人を排斥する)という考えはまったく非現実的であることに気付きます。そして、帰国した彼らによって討幕、明治維新が加速していくわけです。
メンバー5人のうち、井上聞多(井上馨)と伊藤俊輔(伊藤博文)はもっとも早く帰国。5ヶ月後(1864年4月)にロンドンを出発します。次いで、1866年に遠藤謹助が帰国。山尾庸三と野村弥吉(井上勝)がもっとも長く滞在し、1868年に帰国しました。
この留学で5人は、世界情勢、最新技術、英語などを学びます。そして、明治新政府の重鎮となっていくのです。
井上馨は、初代外務大臣。「外交の父」と呼ばれました。
遠藤謹助は、造幣局長。「造幣の父」と呼ばれました。
山尾庸三は、工部卿。「工学の父」と呼ばれました。
伊藤博文は、初代内閣総理大臣。「内閣の父」と呼ばれました。
井上勝は、鉄道庁長官。「鉄道の父」と呼ばれました。
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