あれだけ隆盛を誇ったセゾングループも今はなく、まさに“諸行無常の響きあり”です。
流通業の雄イオングループが呉服屋岡田屋から数えれば250年の歴史があるのに対し、セゾングループはわずか2代で崩壊してしまいました。やはり、堤家という超絶なカリスマによって支えられていた経営は、伸びるときは急成長するものの、悪いときは一気に悪くなってしまうようです。
そのカリスマ経営を作ったのは、清二氏の父・堤康次郎(つつみ やすじろう、1889年〜1964年)。裸一貫から西武王国を作り、政界に進出して衆議院議長まで務めた“偉人”ですが、その一方で人間としてどうか?と思われる行動も多々あった人物です。今回は、この怪物・堤康次郎を見ていきたいと思います。
●創業するまで
滋賀県の農家の家に生まれた康次郎ですが、5歳のときに父が死去。母は実家に戻されてしまったため、祖父・祖母に育てられます。長いこと貧しい暮らしをしていましたが、20歳のときに故郷の田地を担保に入れて金をつくり、早稲田大学政治経済学部に入学します。
早大卒業後、さまざまな事業に挑戦しては失敗。最後の望みをかけた不動産事業が当たり、後の西武王国の足掛かりとなります。
●先駆者の顔と強引な買収者の顔
康次郎の不動産事業は、不毛で価値の低い土地を買収し、開発・発展させた上で価値を創出するというものでした。今でこそ不動産事業の基本ですが、康次郎がその先駆者といえます。そして、現在リゾート地として有名な軽井沢や箱根、住宅地として有名な東京・国立なども元々は不毛の地。ひとえに康次郎の開発があったから発展したといえます。
加えて、各地にあるプリンスホテル。とくに都内にあるのは旧華族が所有していた土地です。戦後、特権廃止で財政難に苦しんでいた旧宮家や華族たちから買収し、“プリンス”ホテルと名付けたのでした。なんともはや。
ちなみに旧赤坂プリンスホテルは、李氏朝鮮の末裔である李垠から買収した土地に建てられました。
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不動産業をビジネスとして発展させた功績は大きい一方で、強引な土地買収は今から考えればムチャクチャです。一説には、関東大震災の直後、焼跡になった土地に片っ端から「堤康次郎所有地」と書いた棒杭を立てて自分のものにしたと言われています。また、元の所有者から文句が出ても、お抱えの弁護士をつかって“法的”に自分のものにしました。
●五島慶太との箱根山戦争
強引な土地の買収は様々な軋轢を生みましたが、相手が同規模の企業グループだったらどうなるでしょうか? それはもう“戦争”になります。小田急グループ、その背後にいた五島慶太(東急グループ)とは「箱根山戦争」と呼ばれる熾烈な戦いを繰り広げました。
現在、箱根における交通機関は、以下のようにすみ分けされています。
西武グループ系:伊豆箱根鉄道、西武鉄道
小田急グループ系:箱根登山鉄道、箱根観光船、箱根ロープウェイ、小田急電鉄(ロマンスカー)
これは「箱根山戦争」の名残です。このエピソードについては映画化もした『箱根山』(獅子文六)が詳しいです。
●政界進出
1924年、35歳のときに初当選して国会議員に。その後も13回の当選を果たし、1953年には衆議院議長に就任したほどの大物議員になりました。とはいえ、議員になったのも土地買収に有利という理由からで、どうなんだそれ?というところもあります。
●凄まじすぎる女性関係
康次郎は、下はお手伝いさんから上は華族まで、気に入った女はすべて手籠めにしました。堤清二氏の母・操は、倒産して没落した旧家の女性でした。康次郎はこの操の姉と妹も愛人にして、子供を産ませています。堤清二氏の弟には西武鉄道グループの元社長・堤義明氏がいますが、もちろん異母兄弟です。嫡子として認知した子供は12人いますが、認知していない子供は100人を超えると言われています。
●まとめ
康次郎の狂ったような事業欲や色欲を見ると、金持ちになっても、国会議員になっても、何人の愛人を囲っても満たされない寂しさを感じます。とはいえ、こうした超ウルトラ肉食系が戦後の日本を切り開いてきたのは間違いありません。
最近は草食系男子が多くなり、「元気がない」と嘆く風潮があります。しかし、それは世が平和になり闘争がなくなったため。もし康次郎のような超ウルトラ肉食系が近くにいたら、大変ですよ。きっと彼が通った道にはペンペン草も生えない状況になると思います。
そう。いつの時代も「丁度いい状態」はないと感じます。
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