来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
★歌意
(待っていても)来ない恋人を待っている私は、松帆の浦の夕凪時に焼いている藻塩のように、恋人を慕って身も恋焦がれていることですよ。
★解説
「まつほの浦の」→「松」と「待つ」の掛詞。「松穂の浦」は淡路島の北端にある海岸名。
「夕なぎに」→夕方の無風状態。
「焼くや藻塩の」→「焼く」は昔の製塩法。海水を何度もかけた海藻(これを藻塩草という)を天日干しし、それを焼いて水に混ぜ、煮詰めていくもの。
「身もこがれつつ」→私のこの身も、藻塩が焼けこげるように、恋いこがれている。
★人物
権中納言定家(藤原定家)(ふじわら の さだいえ、1162年〜1241年)
藤原北家の出で藤原俊成(83番)の二男。
2つの勅撰集である『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』の撰者を務めた歌道の中心的存在。後世にも巨大な影響を与えた人物です。この小倉百人一首の撰者でもあります。藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだため、“小倉”百人一首と呼ばれるようになりました。撰者の職権を活かし、百人一首にしっかり自分の歌も入れてます。
経歴
公卿前
4歳:<従五位下> 13歳:侍従 18歳:<従五位上>、(続)侍従 21歳:<正五位下>(続)侍従 27歳:左近衛少将
28歳:<従四位下>、(続)左近衛少将 29歳:(兼)因幡権介 33歳:<従四位上>、(続)左近衛少将、
(続)因幡権介 37歳:(兼)安芸権介、(辞)因幡権介 38歳:<正四位下>、(続)左近衛少将、(続)安芸権介
40歳:左近衛中将 41歳:(兼)美濃介 48歳:(兼)淡路権介、(辞)美濃介、(辞)左近衛中将、内蔵頭
公卿後
49歳:<従三位>、侍従 52歳:参議、(続)侍従 53歳:(兼)伊予権守 54歳:(兼)治部卿、(辞)侍従、
<正三位>、(続)参議、(続)治部卿、(続)伊予権守 56歳:(兼)民部卿、(辞)治部卿
54歳:(辞)伊予権守 58歳:(兼)播磨権守 60歳:(辞)参議、(続)治部卿、(続)播磨権守
62歳:(辞)播磨権守 65歳:<正二位>、民部卿 70歳:権中納言→(辞)権中納言 71歳:出家 80歳:死去
★関連記事
・百人一首一覧
・日本史 年代別記事一覧