
おほけなく 憂き世の民に おほふかな
わが立つ杣に すみぞめの袖
★歌意
身のほどをわきまえずに、辛いこの世に生きる人々を救いたいものだ。私が住み始めることになった比叡山における仏道修行によって。
★解説
「おほけなく」→身のほどをわきまえないで。
「憂き世の民におほふかな」→この世の人々の上に墨染めの衣の袖を覆うことよ(仏のご加護がありますように)
「わが立つ杣に」→「杣(そま)」は材木を切り出す杣山のことだが、ここでは比叡山を指す。
「墨染めの袖」→「黒く染めた法衣」と「住み初め」との掛詞。
慈円が生きていた平安末期から鎌倉時代にかけては、まさに乱世。「若くて分不相応かもしれないが、人々を救いたい」という思いが込められている。
★人物
前大僧正慈円(さきのだいそうじょう じえん、1155年〜1225年)
摂政関白・藤原忠通(76番)の子。天台宗の僧。名門の出ながら幼い頃から青蓮院に入り、12歳のときに比叡山で出家しました。38歳で僧職の最高位である天台座主になり、その後、4度も天台座主を務めています。一芸ある者なら身分の低い者でも召しかかえて重用しました。
経歴
12歳:出家 38歳:天台座主
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