世の中は 常にもがもな 渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも
★歌意
この世の中は、永遠に変わらないでいてほしいことよ。海岸沿いを行く漁夫の小舟の、引き綱を引いている姿は、しみじみといとおしいものであるよ。
★解説
「常にもがもな」→「もがも」は“〜であればよいがなぁ”と訳す願望の終助詞。
「あまの小舟の」→「あま」は“海人”で漁夫のこと。
「綱手かなしも」→「綱手」は引き舟のへさきにつけた綱。「かなし」は「愛し」と書き、“いとおしい”意。
★人物
鎌倉右大臣(源実朝)(みなもと の さねとも、1192年〜1219年)
鎌倉幕府を開いた源頼朝の四男。兄の第2代将軍・頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就きます。歌人としても有名なため“ひ弱”なイメージがありますが、執権を務める北条氏に関与を深めながら政治面でも努力していました。
官位の昇進も早く右大臣に上ります。後鳥羽上皇が実朝に好意的だったため、その昇進に便宜を図ったといわれています。しかし、鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺され、以後は執権北条氏が政権を掌握していきます。
経歴
公卿前
12歳:<従五位下>、征夷大将軍、元服、右兵衛佐 13歳:<従五位上>、(続)右兵衛佐→右近衛権中将、(兼)加賀介 15歳:<従四位下>、(続)右近衛権中将、(続)加賀介 16歳:<従四位上>、(続)右近衛権中将、(続)加賀介 17歳:<正四位下>、(続)右近衛権中将、(続)加賀介
公卿後
18歳:<従三位>、右近衛中将 20歳:<正三位>、(続)右近衛中将、美作権守 21歳:<従二位>、(続)右近衛中将、(続)美作権守 22歳:<正二位>、(続)右近衛中将、(続)美作権守 25歳:権中納言、(兼)左近衛中将 27歳:権大納言→内大臣→右大臣、(兼)左近衛大将、(兼)左馬寮御監 28歳:暗殺
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