見せばやな 雄島のあまの 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色はかはらず
★歌意
(悲しい涙で色の変わってしまった私の袖を)お見せしたいものですよ。(あの古い歌のように)雄島の漁夫の袖さえも、波でぬれそぼっていました。しかし(悲しみの涙で濡れたのではありませんから)色は変わらなかったのに。
★解説
「見せばやな」→「ばや」は希望の終助詞(29番)。「な」は詠嘆の終助詞。
「雄島のあまの袖だにも」→「雄島」は宮城県松島湾の島の一つ。
「濡れにぞ濡れし」→濡れに濡れた(ひどく濡れた)。
★人物
殷富門院大輔(いんぷもんいん の たいふ、1130年?〜1200年?)
従五位下・藤原信成の娘。若い頃から後白河院の第1皇女・殷富門院(亮子内親王)に出仕。それに伴い歌壇で長年にわたり活躍しました。
俊恵法師(85番)が主宰した歌林苑のメンバーでもあり、西行法師(86番)・寂蓮法師(87番)・藤原定家(97番)など多くの歌人と交際がありました。さらに自ら歌会も主催するほどアグレッシブな女官でした。
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