2013年11月24日

百人一首86 西行法師

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なげけとて 月やはものを 思はする
 かこち顔なる わが涙かな

★歌意
「嘆け」と言って、月が私に物思いをさせるのであろうか、いやそうではない。(恋がそうさせるのだ。)そうであるのに、月のせいのようにして、恨めしそうな様子でこぼれ落ちる私の涙であることよ。


★解説
「月やは物思を思はする」→月を擬人化し、「月が物思いをさせるのであろうか、いやそうではない」の意。「やは」は反語。
「かこち顔なる」→「かこつ」は他のせいにする。


★人物
西行法師(さいぎょう ほうし、1118年〜1190年)
saigyo2.jpg左衛門尉・佐藤康清の子。出家前の名前は佐藤義清(さとう のりきよ)。
NHK大河ドラマ『平清盛』(2012年)では、イケメン藤木直人が演じました。平清盛とは北面武士の頃の同僚であり、親友だったという設定でした。

西行が出家した理由には諸説ありますが、本作では待賢門院璋子(演:檀れい)との愛憎劇によるものとしています。説話として伝わっている、出家の際に俗世への未練を断ち切るため娘を縁側から蹴落とすシーンも再現されています。

出家直後は京都北麓に隠棲し、26歳頃に奥羽地方へ旅行し、31歳頃に高野山(和歌山県高野町)入り。50歳で四国に旅立ち、讃岐国(香川県)では流刑によってこの地で没した旧主・崇徳院(77番)の墓を訪ねてその霊を慰めました。
その後、高野山に戻り、59歳のときに伊勢国二見浦に移り、68歳のときに二度目の奥州行き。この帰りに鎌倉で源頼朝に面会しました。

このように西行は各地を旅しながら、旺盛な創作意欲で多数の歌を創り出しました。彼の歌は『新古今集』に94首も収められており、これは入撰数第1位の数を誇ります。
彼が後世に与えた影響はきわめて大きく、後鳥羽院をはじめとして、宗祇、松尾芭蕉など、多くの歌人からリスペクトされました。

経歴
18歳:左兵衛尉、鳥羽院の北面武士 23歳:出家 73歳:死去。


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posted by すぱあく at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 百人一首 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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