2013年11月21日

百人一首83 皇太后宮大夫俊成

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世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

★歌意
この世の中というところは、逃れる道はないのだなぁ。(逃れようと)深く思い込んで入ってきたこの山の奥にも、鹿が(悲しい声で、私と同じような気持ちで)鳴いているようだよ。


★解説
「道こそなけれ」→「道」は手段・方法。
「思ひ入る」→考え込む。
「鹿ぞ鳴くなる」→寂しさを表現するのに鹿はよく使われます。係り結びの法則により、文末が「なり」から「なる」に変化しています。


★人物
皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)(ふじわら の としなり、1114年〜1204年)
権中納言・藤原俊忠の子。『小倉百人一首』の撰者である藤原定家(97番)の父。
藤原道長の玄孫で藤原北家の出身でありながら、官位に恵まれず地方官を歴任します。この歌は27歳で遠江守(静岡県の大井川以西)に就いていたときの歌。人生が思うようにならないことを嘆いています。

歌の師匠は、藤原基俊(75番)。彼も藤原北家の出身でありながら、官位に恵まれなかった人物。和歌に没頭するような人は、政治的なことに熱心でないため出世に縁遠いようです。

さて、『平家物語』には、この藤原基俊と弟子の平忠度の泣けるエピソードが書かれています。大河ドラマ『平清盛』(2012年)のキャストを使って解説してみます。
藤原俊成(演:花柳寿楽)は、後白河院(演:松田翔太)の院宣によって和歌集の編さんを命じられますが、源平争乱が起こったため一時中断。権勢を誇っていた平家は都落ちします。
そんなとき、弟子の一人だった平忠度(演:ムロツヨシ)は危険を承知で藤原俊成を訪れ、「源平争乱で和歌集の編さんは中断していると思いますが、再開のときにはぜひ私の歌も入れてくださいませ」と言い、その場を去ります。
翌年、平忠度は一ノ谷の戦いで戦死。藤原俊成は忠度を忍んで歌を載せたいと思いましたが、皆から恨まれている平家の歌をそのまま載せることはできません。そこで「詠み人知らず」として一首のみ勅撰和歌集(『千載和歌集』)に載せたのでした

経歴
公卿前
13歳:<従五位下>、美作守 18歳:加賀守 23歳:遠江守 27歳:(続)遠江守 
31歳:<従五位上>、(続)遠江守→三河守 35歳:丹後守 36歳:<正五位下>、(続)丹後守 
37歳:<従四位下>、丹後守 38歳:左京権大夫 41歳:<従四位上>、(続)左京権大夫 
43歳:<正四位下>、(続)左京権大夫 47歳:左京大夫 52歳:(辞)左京大夫
公卿後
52歳:<従三位> 53歳:<正三位> 54歳:右京大夫 56歳:(兼)皇后宮大夫 
57歳:(兼)備前権守 58歳:皇太后宮大夫 61歳:(辞)右京大夫 62歳:出家 91歳:死去


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posted by すぱあく at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 百人一首 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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