瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ
★歌意
川の瀬の流れが速いので、岩にせき止められる急流が、二つに分かれても結局はまた一つに合流するように、私とあなたとの仲が人に妨害されて、たとえ別れることがあっても、後にはまた必ず一緒になろうと思うことだ。
★解説
「瀬をはやみ」→「瀬」は川が浅くて流れが急な所。浅瀬。
「岩にせかるる」→岩にせき止められる。
「滝川の」→急流のことで、必ずしも滝とは限らない。
「われても末に」→「われ」は「水が割れる」と「仲がわれる」の掛詞。
「あはむとぞ思ふ」→水の流れが「合う」と二人が「逢う」の掛詞。
★人物
崇徳院(崇徳天皇)(すとく てんのう、1119年〜1164年)
NHK大河ドラマ『平清盛』(2012年)では、井浦新(旧:ARATA)が演じました。なお、彼自身さらには彼を取り巻く人々は「誰々の落胤」という設定が多いですが、ここでは省略します。
鳥羽天皇(演:三上博史)の第一皇子。1123年、白河法皇(演:伊東四朗)によってわずか5歳で即位させられ、鳥羽天皇は退位。その後、白河法皇が亡くなると、鳥羽上皇が院政を開始。崇徳天皇の立場は不安定なものになっていきます。そして、鳥羽上皇が近衛天皇を2歳で即位させたため、天皇の座から追われます。
1155年、近衛天皇が17歳の若さで病死。次の天皇候補として、崇徳上皇の子の重仁親王が有力視されますが、信西(演:阿部サダヲ)の進言によって後白河天皇(演:松田翔太)が即位。崇徳上皇はまた表舞台に返り咲くチャンスを失います。
不満を募らせた崇徳上皇は、近衛天皇を呪詛した疑いを掛けられて失脚した藤原頼長(演:山本耕史)と手を組み、源為義(演:小日向文世)・平忠正(演:豊原功補)らの武士を集めて保元の乱(1156年)を起こします。しかし後白河天皇側の夜襲に遭いわずか一日で惨敗。
崇徳上皇は罪人として讃岐国へ流罪させられ、失意の内に46歳で死去。こうした悲運から、後世では「死後も怨霊となった」という創作が大量に作られました。
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