
高砂の 尾上の桜 咲きにけり
外山の霞 立たずもあらなむ
★歌意
(遠くの)高い山の峰の桜が咲いたことよ。(その美しい桜が見えなくなるから)里近い山の春霞よ、どうか立ち込めないでほしいものだ。
★解説
「高砂」→ここでは地名ではなく、砂が積もった砂山のこと。
「外山」→端の方の山、里近い山のこと。
「立たずもあらなむ」→立ち込めないでもらいたい。「なむ」は願望の終助詞。
★人物
前中納言匡房(大江匡房)(おおえ の まさふさ、1041年〜1111年)
おしどり夫婦として知られた赤染衛門(59番)と大江匡衡。その曾孫です。幼少の頃から神童のほまれが高く、儒学者としても力を発揮しました。
曾祖父の大江匡衡は大学者として有名でしたが、それでも官位は正四位下で公卿にはなれませんでした。大江家を盛り立てようと考えていた匡房は、一時昇進が止まって宮仕えを辞めようとしましたが、45歳で念願の公卿になります。その後は順調に出世していきました。
経歴(公卿前)
<従五位下>治部少丞、式部少丞(19歳)→蔵人(27歳)→左衛門権佐・右少弁も兼務(三事兼帯)(28歳)
公卿後
<従三位>(45歳)→<正三位>参議(47歳)→<従二位>権中納言(53歳)→大宰権帥(56歳)→
<正二位>(61歳)→大蔵卿、死去(70歳)
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