こうした専門知識を持った若い経営者が率いる“老舗”は強いです。現場への理解も深いし、若者にも受け入れられる商品開発もできます。そして、海外進出も意欲的に展開しています。
その一方で、なかなか理想的な代替わりができずに古い体質を抜け出せない蔵元も多いです。私の郷里にも約200年続く蔵元がありましたが、すでに酒造りを辞めています。

『もやしもん』(石川雅之、2004年〜)は、農大(どこの大学と特定してはいない)を舞台にしたマンガです。発酵や醸造というアカデミックかつマニアックな世界を、いろいろな工夫でわかりやすく描いています。マニアックながらも楽しそうな大学生活が人気となり、アニメ化、実写ドラマ化、手塚賞受賞を果たしています。
そして例によって、東京農業大学の歴史を調べてみました。すると・・・。
「創設者は榎本武揚」という一文が目に入ってきました。

あの五稜郭で土方歳三とともに戊辰戦争を戦った榎本武揚!?
これは驚きです。確かに、土方歳三があの戦いで戦死したことはドラマなどで有名ですが、榎本武揚がその後どうなったか、そこまで描かれることはありませんからね。
幕臣・榎本武揚
幕臣だった榎本武揚は、26歳のときに幕府に派遣されて、オランダ留学し、近代的な軍事知識を学びました。帰国後、幕府海軍軍艦頭並に任命され、その後は幕府海軍トップになります。
しかし、すでに江戸幕府の命運は尽きており、1868年1月に戊辰戦争が勃発。4月には江戸城が無血開城。このとき新政府軍から幕府海軍艦隊を引渡すように迫られますが、榎本は拒否します。
江戸城を追い出された徳川家は、駿河に追いやられ領地も大幅に減少。8万人の幕臣が路頭に迷う危機にありました。そこで、榎本は、蝦夷地に旧幕臣を移住させ、北方の防備と開拓にあたらせようと考えます。11月、榎本は五稜郭に入城。12月に「蝦夷共和国」の樹立を宣言します。
もちろん新政府軍がこれを許すはずもなく、1869年にアメリカ軍も味方につけて函館を総攻撃。この戦いで土方歳三は戦死。5月、榎本武揚もついに降伏します。
新政府軍に登用され北海道開拓に従事

徳川育英会育英黌農業科を設立
榎本武揚は北海道開拓の経験から、農業の重要性を痛感していました。そこで1891年、
徳川育英会育英黌農業科を創設し、自ら黌長となりました。この後身が東京農業大学です。場所は現在の飯田橋あたりでした。地下鉄飯田橋駅A4番出口前には「東京農業大学開校の地」という碑が建てられています。
ちなみに、東京農大にはオホーツクキャンパス(北海道網走市)もあり、榎本武揚の精神もあって今も北海道と密接です。
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大河ドラマ『新選組!』(2004年)では、草g剛が演じた榎本武揚がワンシーンだけ登場。
その後、スピンオフ作品『新選組!! 土方歳三 最期の一日』では、片岡愛之助が榎本役を好演。
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