上杉謙信は今では超メジャーな戦国武将ですが、長尾景虎と呼ばれていた頃は、まだ越後の小大名。現代なら中小企業の社長さんです。そう、上杉謙信ってはじめから上杉家だったわけではありません。
そして、長尾家の親会社筋に当たるのが上杉家でした。上杉家は、室町幕府の重職である関東管領(かんとうかんれい)を代々勤める家柄。要するに大企業です。
とはいえ、時は戦国時代。すでに室町幕府の権威は失墜。名門・上杉家は、新興勢力の北条氏に滅ぼされかけていました。古い体質の大企業が、勢いのあるベンチャー企業に牙城を崩されたような状況でしょう。
当時の上杉家当主である上杉憲政は、同じ格式の親戚筋に助けを求めましたが、すでに北条氏に敗れてしまっていました。仕方なく、家来筋の長尾景虎の元に逃げたわけです。
しかし、家来筋とはいっても、すでに長尾景虎は武田信玄と川中島で壮絶な合戦を繰り広げており、勇猛な武将として名を馳せていました。一方の上杉憲政は役職こそ関東管領ですが、兵も家臣もおらず、嫡男も北条氏に殺され、何もかも嫌になっていたと思います。そこで・・・
「ウチの会社、継いでくんない?」と長尾景虎に打診したのでした。
長尾景虎もビックリしたかもしれません。「親会社の社長になってよ」と頼まれたのですから。こうして上杉家の名跡と関東管領を手中にし、上杉政虎と改名したのでした。
さて、こうした抜擢人事は現代でもあります。最近だと、現在任天堂の社長を務める岩田聡氏の例が近いと思います。
岩田氏は大学卒業後に、ゲームプログラムのベンチャー企業・HAL研究所に入社。そこで『ピンボール』『ゴルフ』『バルーンファイト』などの任天堂ゲームソフトのプログラミングを担当しました。
後に、会社の経営がおかしくなると経営陣として再建に関わることになり、HAL研究所は任天堂の子会社になります。
そして、再建で培われた経営手腕が評価されて、親会社の任天堂に入社。現在は社長になっています。
かなりスゴイ抜擢人事ですが、任天堂がそれを断行したのには、縮小するゲーム市場への危機感がありました。
前例では対処しきれないほどの困難が訪れたとき、こうした思い切ったことができるかどうかで命運が分かれる。これは戦国時代も現代も同じだと思います。
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