
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで いふよしもがな
★歌意
今はひたすら(あなたのことを)あきらめてしまおうと、ただそれだけを、人づてでなくて(直接に逢って)言う方法があるとよいのになあ。
★解説
この歌は古語の意味さえわかれば、とても理解しやすいです。
「今はただ」は、「今となっては、もう」の意。
「思ひ絶え」は「あきらめてしまう」の意。
「人づてならで」は、「人に頼むのではなく」
「よしもがな」の“よし”は「方法」の意。“もがな”は願望を表す終助詞。よって、「方法があればいいのになぁ」の意味。
★人物
左京大夫道雅(藤原道雅)(ふじわら の みちまさ、992年〜1054年)
関白の藤原道隆の孫で、藤原伊周の子。生まれは名門一家でしたが、父の伊周が花山法皇に対し弓を射掛ける不敬事件を起こし(長徳の変)、左遷されてしまったため、没落した中で成長します。
成長後もなかなかの波乱続きで、更迭・謹慎・左遷が多い人生を過ごしました。『栄華物語』によれば、当子内親王と密通し、これを知った内親王の父である三条院(68番)の怒りに触れました。この人の個性がそうさせるのか、それとも陰謀に巻き込まれやすかったのかわかりませんが、寂しい人生と感じます。歌も悲恋とかネガティブなものが多いです。
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