
1920年生まれの彼女は90歳を超えてもご存命でしたが、2014年9月7日に死去。映画よりも映画的だった長い人生に幕が下ろされました。享年94歳。
中国名の李香蘭が有名ですが、日本人です。
日本名は山口淑子(やまぐち・よしこ)。彼女ほど激動の時代を潜り抜け、刻々と変化する世界を見続けた人はいないと思います。
●幼少期からデビューまで
生まれたのは、中華民国の撫順(遼寧省)。この頃、中国東北部には、旧日本の傀儡国家である満州国が建国されていました。そして、日本から多くの入植者が移り住んでいたのです。李香蘭の父もその一人。彼は、南満州鉄道株式会社(満鉄)で中国語を教えていました。
李香蘭は中国生まれですが、父の出身地である佐賀県が本籍地。父の影響で幼い頃から中国語を習得し、
中国名「李香蘭(リー・シャンラン)」も得ていました。
日本語と中国語に堪能なことに加え、絶世の美女だったこともあり、すぐに芸能界の目に止まり、「李香蘭」としてデビューします。デビューしてすぐに日本、満州で大ブレイク。中国語をネイティブ同様に扱っていたため、ほとんどの人が中国人スターだと思っていました。
その後、満洲映畫協會(満映)の専属女優となり、多くの日本映画に出演。中国映画にも出演し、中国人からも大人気となりました。
●九死に一生を得て、国際的に活躍
しかし、日中戦争と日本敗戦で、彼女の人生は大きく変わってしまいます。日本映画に多く出演して敵国に加担したとして、中華民国政府から売国奴(漢奸)の罪で拘束されてしまうのです。そして、軍事裁判にかけられ、あわや銃殺刑とういところまで追い詰められます。
この絶体絶命のピンチのなか、両親や幼馴染のロシア人の助力で、北京から日本の戸籍謄本が法廷に届けられます。このことで、李香蘭は中国人ではなく、日本人・山口淑子であることが証明されたのです。中国人ではないので漢奸罪は適用されず、国外追放となり、日本に帰国することになりました。
帰国後は、山口淑子として銀幕に復帰。『醜聞』という映画では三船敏郎とも共演しています。また、アメリカにも渡り、ハリウッド映画に主演したり、ブロードウェイのミュージカルに主役で出演するなど、活躍します。
また、イギリス領香港の映画にも出演。このときは、中国名「李香蘭」で出演し、テーマソングも担当。それらは中華圏全体で大ヒットしました。
●参議院議員にもなった

1974年、時の総理・田中角栄の要請で自民党から立候補し、参議院議員になります。その後、3期18年に渡って議員活動を続けました。写真は、議員当時の山口淑子氏です。
以上駆け足で李香蘭の一生を見てきましたが、その行間には苦難に満ちた苦しみがあったと思われます。満州国、日中戦争、終戦、文化大革命、日中国交正常化、改革開放、そして現在の尖閣問題・・・。李香蘭はこれらの日中関係のすべてを目にしている数少ない人物です。彼女の生きてきた道から、私たちは何かを学べるのではないか、そう思えてなりません。
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