この曲は、宋代の有名な官僚・詩人である蘇軾(そしょく、1036〜1101年)の漢詩「水調歌頭」に歌を付けたものです。なんと約1000年前の詩に音楽を加えて、現代に甦らせたのです。このカルチャーにただただ畏敬の念を覚えます。
本来は、蘇軾が酔っ払ったときに、当時離れ離れであった弟に詠んだものです。
現在では遠くに暮らす恋人への歌として親しまれています。
≪但願人長久≫ (水調歌頭)
明月幾時有 この明るい月は、いつからあるのだろう
把酒問青天 酒を取り、ふけゆく青き夜空に聞いてみる
不知天上官闕 人知の及ぶところではなし。天上の宮殿では、
今夕是何年 今はどれくらいなのだろうか
我欲乗風帰去 酔いにまかせ風に乗り、青き天空駆け巡り確かめたいが、
又恐瓊楼玉宇 私は今宵のことすら分からない
高処不勝寒 高殿はとても寒く、かなわない
起舞弄清影 立ち上がって舞い、影と戯れていると
何似在人間 この世のものとは思えない気分だ
轉朱閣 楼閣を巡り、
低綺戸 模様のある戸を低くくぐり、
照無眠 眠れぬ私を照らし出す
不應有恨 月よ、おまえには恨みがないけど
何事長向別時圓 なぜ、いつも離れ離れになっているときに限って丸いのか
人有悲歓離合 人には出会いと別れがあり
月有陰晴圓缺 月には満ち欠けがある。
此事古難全 満ちれば欠ける定めなら、古から全きことは難しいこと。
但願人長久 ただ祈るのみ。あの人がいつまでも元気にいて、
千里共嬋娟 千里を隔てていても、ともに艶やかな月をめでることができることを。
次に、蘇軾がどのような人物だったか、見ていきます。
眉州眉山(四川省眉山市)出身。1057年、進士となり地方官を歴任後、英宗のときに中央に入ります。しかし次代の神宗期に王安石の新法に反対して左遷され、再び地方官を歴任します。
1079年、詩文で政治を誹謗したと非難され、投獄された後に黄州(湖北省黄州区)へ左遷となります。このあたりから蘇東坡(そとうば)とも呼ばれるようになります。
1085年、神宗が死去し、哲宗が即位して旧法派が復権すると蘇軾も中央に復帰します。しかし、新法を全て廃止する事に躍起になる宰相・司馬光に対して、新法でも募役法のように理に適った法律は存続させるべきであると主張して旧法派の内部でも孤立します。
1094年、再び新法派が力を持つと蘇軾はまたもや左遷され、恵州(現在の広東省)に流され、さらに62歳の時には海南島にまで追放されました。66歳の時、哲宗が死去し、徽宗が即位するにおよび、新旧両党の融和が図られると、ようやく許されます。
1101年、都に向かう途中で病になり、常州(現在の江蘇省)で死去します
これだけ見ると、曲がったことは大嫌い、正論を通しすぎて組織で孤立してしまう性分のようです。しかし、左遷されてもへこたれない屈強さと、何度も中央に呼ばれる有能さを持っていました。
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