協調性があって争いとは無縁、にも関わらず無個性と誤解されて埋没しがちな「いい人」。
目立った動きが乏しい分、恋愛や出世に不利と思われがちです。
しかし、人生とは刹那で終わりません。長い目で見ると、結局「いい人」が一番強いのかなとも思います。

明るく誠実な人柄で、ミュージシャン仲間、メディア、ファン、誰もが彼のことを「いい人」と言います。サインやインタビューにも気さくに応じるナイスガイ。それにしても珍しいミュージシャンです。
荒くれ者が多い、海外のロックミュージシャン
海外のロックミュージシャンは、粗暴で気難しい輩のオンパレードといえます。以下の例は、ほんの一部に過ぎません。「いい人」のデイヴ・グロールがいかに際立っているかがわかります。

さて、右下にいるカート・コバーン。彼はデイヴ・グロールを語るうえで、絶対にはずせない存在です。
それはそれは凄かったニルヴァーナ
デイヴ・グロールはこのバンドのドラマー(写真左)でした。90年代前半、ニルヴァーナの人気はそれはそれは凄まじいものでした。
代表作「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」(YouTube)は、今も色褪せない名曲です。“グランジ”と定義された彼らの音楽は、当時の音楽シーンを席巻。そして、何よりもカート・コバーンのルックス、音楽性、メッセージ性はカリスマそのもので、世界中の若者が熱狂しました。
そんな爆発的な人気を誇ったニルヴァーナでしたが、まさに爆弾そのものを抱えていました。カート・コバーンが重度のヘロイン中毒だったのです。もともと繊細な彼は、一人歩きする名声に耐えられなくなり、1994年にショットガンで頭を打ち抜き自殺してしまいます。人気絶頂期にフロントマンが死亡したため、ニルヴァーナは解散しました。
「いい人」だから、ここまで来れたのでは
ニルヴァーナ解散後、デイヴ・グロールは密かに作り続けていた楽曲のレコーディングを開始します。彼はドラム以外の楽器もこなせるため、ほとんど一人でアルバムを作り上げ、1995年にフー・ファイターズとしてデビューします。
彼がデビューした当時の雑誌記事を覚えています。「カートに比べて、ボーカルとしての存在感が平凡すぎる」と書かれていました。
無理もありません。あのカート・コバーンです。しかも、彼は死んだことで、永遠の存在になってしまったのです。勝てるわけがありません。
どこへ行ってもニルヴァーナ時代の話をされ、必ずカートと比較され、普通だったらやさぐれると思います。しかし、彼はニルヴァーナのこともカートのことも、今なお肯定的にとらえており、それがマイナスに働いていません。だからこそ、ここまで来れたのではないでしょうか。
そして今では、なんとグラミー賞を11回受賞(2012年現在)!! 文句のつけようがない世界的なビッグアーティストです。
よく二代目社長、二世議員、二世タレントなどは、偉大な先代と比較され、その重圧に押しつぶされてしまうケースがあります。その他、前身のバンドが偉大すぎて、ソロになったときに活躍できないミュージシャンもたくさんいます。
デイヴ・グロールだって、そうなる可能性大だったわけです。しかし、「いい人」の彼は過去のことを特別に感じず、自分のできることを淡々とやっていった結果、成功できたのではないでしょうか。
長期的なビジョンで見た場合、「いい人」って実は最強かもしれません。
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