
めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに
雲がくれにし 夜半(よは)の月かな
★歌意
たまたま出会って、見たのがそれ(月)であったかどうかもわからないうちに、雲に隠れてしまった真夜中の月であることよ。昔親しかった人と偶然めぐりあったが、慌ただしく帰ってしまった人であることよ。
★解説
「めぐりあひて」は、長い間逢わなかった人に、偶然に出会うこと。「めぐりあひ」と「雲がくれ」は、月の縁語。
「見しやそれとも」は、見たのがそれ(月)であったかどうかも、の意味です。
「夜半」は真夜中。久しぶりに逢った人を「月」に例えています。
★人物
紫式部(むらさき しきぶ、生没年不詳)
『源氏物語』の作者として、超メジャーな人物。父である藤原為時が、そもそも屈指の学者・詩人。家の環境もあり、漢詩・和歌の才を早くから発揮しました。
998年、22歳の頃、親子ほども年の差がある藤原宣孝と結婚。翌年に藤原賢子(大弐三位、58番)を儲けます。ただ、夫の宣孝は高齢だったこともあり1001年には死去してしまいます。
1005年頃、一条天皇の中宮・彰子に女房として仕え、少なくとも1012年頃まで奉仕。その間に『源氏物語』を記しました。また、宮仕えの体験を『紫式部日記』としても残しています。
この『紫式部日記』の中で、『枕草子』作者の清少納言について
「清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば まだいと足らぬこと多かり」(得意げに真名(漢字)を書き散らしているが、よく見ると間違いも多いし大した事はない)と辛辣なことを述べています。
そのことから、紫式部と清少納言の二人は仲が悪かったという話もあります。しかし、清少納言が宮仕えを辞めてから10年後くらいに紫式部が宮仕えを始めています。おそらく二人は面識はなかったと思われます。
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