
わすれじの 行末までは かたければ
今日をかぎりの 命ともがな
★歌意
「いつまでも忘れまい」と言われる言葉が、遠い将来までも変わらないということは難しいことですから、(逢えて、そのお言葉を聞いた)今日を最後として、死んでしまいたいと思います。
★解説
「忘れじの」の「じ」は「〜しまい」と訳します。打ち消しの意志を表す助動詞「じ」の終止形です。
「かたければ」は「難しいことだから」の意です。
この歌は当時の「通い婚」(男が女の家に通ってくる結婚形態)の中で生きる女性の心情を表しています。
男性は女性を前にして遠い行く末を誓ってくれます。
しかし、女性は「それは難しいことです」と考えており、だからこそ今日の幸福に命をかけようと願っているのです。
★人物
儀同三司母(高階貴子)(ぎどうさんしのはは、たかしなの たかこ、生年不詳〜996年)
下級貴族だった高階成忠(なりただ)の娘。和歌・漢詩の才が認められ、円融天皇の内侍として宮中に出仕しました。関白・藤原道隆の側室となり、伊周(これちか)、隆家、定子を含む三男四女を生みました。
夫・道隆が関白、摂政となり、定子が一条天皇の中宮に立てられ、嫡男の伊周も儀同三司・内大臣と急速に昇進したため、貴子を含めた一族郎党が大出世します。
ところが、995年に夫の道隆が病死すると状況は一転します。息子の伊周と隆家が、あの藤原道長と対立するのです。しかし、伊周側は政争に敗れ、権勢は瞬く間に道長側に移ってしまいます。
しかも、伊周と隆家は、花山院に矢を射掛けた罪(長徳の変)によって配流されてしまいます。
貴子は息子の身の上を念じながら病死します。寂しい晩年でした。
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