現在では靴屋、レンタルビデオ店、衣料品店、床屋、カレー屋などとバラバラですが、実はすべて同じルーツに端を発しているのです。
それは「おもちゃのハローマック」。お城のような外観に、「マックライオン」というキャラクターがシンボルだったおもちゃ屋です。
アラフォー世代の人が小学生頃にもっとも勢いがあったおもちゃ屋です。そのため、若い人は存在すら知らないでしょう。
ハローマックの歴史を紐解けば、まさに消費社会の栄枯盛衰を感じずにはいられません。
ハローマックを運営していたのは株式会社チヨダです。1936年、チヨダ靴店として創業。
今でも「東京靴流通センター」、「ザ・シューズ」、「靴のチヨダ」などを全国展開している靴流通の最大手です。ちなみに東証一部上場企業。
そのチヨダが、1985年におもちゃ販売に参入します。それが「おもちゃのハローマック」でした。
当初の勢いは凄まじく、全国に立て続けに出店し最盛期には500店舗を数えるまでになりました。テレビCMもバンバンやっていました。
売場面積は約130坪前後。今では珍しくないこの規模も、80年代では大騒ぎのデカさでした。
だって、ガキんちょたちは町にあるおもちゃ屋さんしか知らなかったわけです。ホコリをかぶったガンプラをお婆ちゃんが取り出してね、そんな世界しか知らなかったのです。
そこにハローマックが登場した!! そして何よりあのお城みたいな外観。
ガキんちょたちにとってはまさに「夢の世界」がやってきた感覚でした。
しかし、時代は目まぐるしく変化します。
1989年に、アメリカからトイザらスがやってきます。売場面積はなんと700坪以上で、ハローマックは砂漠の蜃気楼のように霞んでしまいました。
その後は、もうローリングストーンのようになり、あれよあれよの閉店ラッシュ。
ほそぼそとやっていた数店も閉店し、チヨダは2009年に玩具事業から完全撤退します。
以上のように寂しい幕切れを迎えたハローマックですが、意外な形で存在感を残します。
それがあのお城のような外観です。
同一グループの東京靴流通センターなどは、跡地に靴屋を開店し今もその姿を留めています。
まったく別会社の店舗も目立つ外観をそのまま活用し、本屋、ビデオ屋、カレー屋などを開店させています。
今、富士山の世界遺産登録に沸いていますが、「旧ハローマック店舗」を心の中で勝手に都市遺産に登録し、その栄華を偲びたいと思います。
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