
華夏の「夏」は季節の夏ではなく、最古の王朝とされる
夏王朝(紀元前2070年頃〜紀元前1600年頃)から来ています。
私たちは、世界史の教科書で中国最古の王朝は「殷王朝」(中国では「商」)と習いました。
それは殷が、「殷墟」(河南省安陽市)と呼ばれる遺跡が発掘されたことで考古学的に実在が確定しているからです。
一方、司馬遷の『史記』では、殷の前に最古の王朝「夏」があったとし、初代の禹から末代の桀まで17代、471年間続いたと記録されています。とはいえ、これまで宮殿や書物といった考古学的な発見がなかったため、伝説上の王朝とされてきました。
しかし、司馬遷の記述が想像で書いたには詳細であったため実在説も根強く、早いところ考古学的発見が待たれていました。そして、どうやらその可能性がかなり濃厚な遺跡が見つかっているようです。
2012年10月14日放送のNHK『中国文明の謎』や、同番組にも出演していた岡村秀典・京都大学教授の著書に詳しくあります。
それは河南省の二里頭村(にりとうむら)。ここで広大な王宮の遺跡が発掘され、
モザイクタイルで表現された「龍」、厚さの薄い青銅製品の「銅爵」(どうしゃく)などが発見されました。
龍は歴代皇帝の象徴として必須アイテムでしたから、それが出土したことで二里頭村が夏王朝の王宮だった可能性が高くなっているようです。次の時代の殷墟も同じ河南省にありますから、そう考えても自然といえます。
そもそも、殷王朝も今でこそ実在の王朝になっていますが、発掘されたのは1928年のこと。
歴史的に見たら「つい最近」のことで、それまでは殷も伝説上の王朝と言われていました。
もしかしたら、数年後の世界史の教科書の記述は変わっているかもしれません。
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