2013年05月01日

百人一首42 清原元輔

motosuke.jpg
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 
 末の松山 波越さじとは

★歌意
(二人は固く)約束しましたよね。お互いに袖の涙をしぼりながら、
あの末の松山を波が越すことのないように、
私たちの仲も決して変わることのないようにとね。


★解説
「契りきな」の「き」は過去を回想する助動詞で、「な」は詠嘆の終助詞です。
「かたみに」は「お互いに」という意味の副詞。
「袖をしぼる」は涙にぬれた袖をしぼるほど泣いているという意味。
「末の松山」は宮城県多賀城市の地名で、どんな高波も決して越すことができないと言われたところです。


★人物
清原元輔(きよはら の もとすけ、908年〜990年)
清原深養父(36番歌歌人)の孫で、清少納言(62番歌歌人)の父。三十六歌仙の一人。
河内権守、周防守などの地方官を経て、最終官位は従五位上・肥後守。
清少納言は『枕草子』の中で、「父は歌人として高名でした。その名を辱めたくないので私は歌は詠みません」と言っており、歌人としての実力は相当なものだったと思われます。


★関連記事
百人一首一覧
日本史 年代別記事一覧
歓迎日本 宮城県

posted by すぱあく at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 百人一首 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。