
今でこそ、『パイレーツ・オブ・カリビアン』(2003年〜)などのメジャー作品にも出演していますが、長いこと通好みのマイナー映画に好んで出演していました。
とくにティム・バートン監督によるダークファンタジーが大好きで、『シザーハンズ』(1990年)から『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)に至るまで、多数の作品に出演しています。
一方、珍しくヒューマン映画に出演したこともあります。それが『ギルバート・グレイプ』

本作はジョニデファン以外はあまり知らないと思いますが、重要な映画です。
というのも、当時は無名だったレオナルド・ディカプリオを一躍有名にした映画だからです。彼は重度の知的障害者を演じたのですが、それはとても演技には見えないほどの迫真ぶりでした。ディカプリオはこの演技が評価されてアカデミー賞にノミネートされ、メジャー俳優の階段を駆け上っていくのです。
本作のあらすじです。
ジョニデが演じる主人公ギルバート・グレイプは、すでに社会人の年齢ですが、自分が生まれ育ったアイオワ州の小さな町から生まれてから一度も出たことがありません。
ギルバートには外地に働きに行けない事情がありました。
まず弟(ディカプリオ)が重度の知的障害者でした。
また、母にも問題がありました。7年前に夫つまりギルバートの父が自殺してしまってから、そのショックから立ち直れず、家から一歩も出れなくなったのです。過食症で運動もしないため、体重は200kgに迫ろうかというほどの肥満体になってしいました。
加えて、二人の姉妹がおり、食料品店で働きながら家族の面倒を見ていたのです。
つまり、ギルバートには家族という足枷によって、田舎町に縛り付けられていたのです。
しかし、心優しいギルバートは表面的には不満を出さずに家族の面倒を見ていました。いつしか、これ以外の人生などはじめから存在しなかったのだと思い込むようになっていました。
そんなある日、旅の途中でトレーラーが故障し、ギルバートの町にしばらくとどまることになった少女ベッキーと出会います。若くて聡明でエネルギッシュなベッキーとの出会いによって、ギルバートの心は大きく変化します。そして、彼を取り巻く家族も変化していきます。
そんな感動物語です。
もうね。「どうぞ、泣いてください」という設定でね。ハンカチが10枚あっても足りませんよ。
さて、本作で描かれているアイオワ州の小さな町の描写は“絶望的”です。
とにかく何もありません。働く場所も、娯楽も、刺激も、出会いも何もありません。
変化のない日常のなかで、人々の心は“生きながら死んでいる”状況です。
そして、私が大きなショックを受けたシーンが以下。
友人がギルバートに言うのです。
「ギルバート知っているか? 今度この町にもマクドナルドができるんだってよ。俺はそこの店員に応募するんだ。ようやく俺にも運が向いてきたよ」。
そして、実際にマクドナルドは進出してきて、この友人もそこで店員として働くようになります。マックの制服を着た友人は、とても満足そうな笑みを浮かべて、ギルバートに挨拶するのでした。
これ、アメリカの話ですよ。
世界中から夢、金、情報、人が集まるというイメージが強いあのアメリカにおける話ですよ。
一方日本なら、高校生でもマクドナルドでバイトしているわけですよ。まぁそれもアメリカ資本なんですが・・・。
私は、学生時代に本作を見て大きなショックを受けました。
本作を見た後であれば、日本のどんな田舎町でさえ、まだマシであることを思い知らされるのです。
しかも、インドや南米の貧民街の話じゃないんです。
GDP世界第一位のアメリカにおける話なのです。
ギルバートを取り巻く家族や友人たちは、最終的にはハッピーな雰囲気で終わりますが、
この田舎町の経済状況は、根本的に変化したわけではないのです。
彼らが自発的に仕事を創造して、ハッピーになったわけではなく、
マクドナルドという巨大資本がやってきて、雇用が創出されたのです。
たしかに、日本でもよく目にする光景ですね。イオン、セブンイレブン、コカコーラ・・・。
でもね。田舎町での売上なんてたかが知れているでしょう。もし、マック本社が“不採算店舗”と判断して撤退したらどうなります? また元の木阿弥なんですよ。
資本主義の権化といえるアメリカにおいてさえ、
その末端細胞といえる地方社会では、資本主義が崩壊している皮肉を本作では見ることができます。
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