山里は 冬ぞさびしさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば
★歌意
山里は、(いつも寂しいが)冬にはその寂しさが、いっそうまさって身に染みてくることよ。
(たまに訪れてきた)人たちもぱったりと姿を見せなくなってしまい、草も枯れてしまう、と思うと。
★解説
「山里」は孤独・寂しさ・愁いを表す歌語として、和歌によく使われています。これに加えて「冬」の寂しさを歌っているわけですから、寂寥感は相当なものです。このように寂しさの中にある美しさを詠むことが結構あります。
★人物
源宗于(みなもと の むねゆき、生年不詳〜940年)
三十六歌仙の一人。光孝天皇(第58代)の孫に当たりますが、当時は増えすぎた皇族のリストラ策の一環として「臣籍降下」があり、宗于も源姓を賜り源朝臣(源氏)となります。
天皇の孫といっても、こうなると一役人に過ぎません。国司として丹波、摂津、三河、相模、信濃、伊勢などの地方を転々とします。
全然出世しないもんだから、宇多天皇(第59代)に自分の不遇を訴える歌を献上したことが『大和物語』に載っています。しかし、宇多天皇は「なんのことだろうか。この歌の意味が分からない」と側近の者に話しただけでした。う〜ん、つれないお返事。
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