2013年02月16日

百人一首25 三条右大臣

sanjyoudaijin.jpg
名にし負は(わ)ば 逢坂山の さねかづら
 人に知られで くるよしもがな

★歌意
逢って寝るという名を持っている逢坂山のさねかずら、
(本当にその名のとおりならば)そのさねかずらをたぐり寄せるように、
他人に知られないで、私が逢いに来れる方法がほしいものだなぁ。





★解説
「名にしおはば」の「し」は、強調の副助詞です。

sanekazura.JPG「さねかづら」は、マツブサ科の「サネカズラ」のこと。「さ寝」(共に寝ること)との掛詞にもなっています。

逢坂山は「逢う」との掛詞で、実際に滋賀県大津市の西部にある山です。
南側には「逢坂の関」が置かれていました。
蝉丸(10番歌歌人)、清少納言(62番歌歌人)も逢坂の関について詠っており、文学的にも名所です。
2011年に「逢坂の関記念公園」が作られ歌碑が建っています。





★人物
三条右大臣(藤原定方)(ふじわら の さだかた、873年〜932年)
京都三条に屋敷があり、右大臣にまで上ったので、三条右大臣と呼ばれました。
父の藤原高藤は内大臣なので毛並みはいいですが、初期のキャリアは陸奥(東北地方)、尾張(愛知県西部)、相模(神奈川県全域)と地方を転々としています。現在のキャリア官僚もそんな感じですね。
和歌にもすぐれ、家集に『三条右大臣集』があります。


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posted by すぱあく at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 百人一首 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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