
わびぬれば 今はたおなじ 難波なる
みをつくしても 逢わむとぞ思ふ
★歌意
(あなたに逢えず)苦悩の底に沈んでいますから、今となってはもう(この身を捨てたのも)同じことです。
(いっそのこと)難波にある「みおつくし」の言葉のように、身を尽くして(身を捨てて)もいいから、お逢いしたいものです。
★解説
「わびぬれば」は相手に逢えなくて寂しい気持ちを表します。「今はた同じ」の「はた」は「もはや」と訳す副詞なので、やぶれかぶれの絶望的な気持ちということになります。

沢口靖子さんがヒロインを務めたNHK連続テレビ小説『澪つくし』(1985年)も、これからタイトルが付けられました。
★人物
元良親王(もとよししんのう、890年〜943年)
陽成天皇(第57代)の第一皇子。平安のISSA・石田純一といえるほどのプレイボーイで、大和物語や今昔物語集にそっち系の逸話が多く残っています。
そもそもこの歌も、出典『後撰集』の詞書(ことばがき)には、
「事いできてのちに京極御息所につかはしける」
(不倫が世間にバレてしまった後に、不倫相手に送った歌)とあります。
不倫相手の京極御息所(きょうごくのみやすんどころ)というのは、宇多上皇の后である藤原褒子のことです。
そもそも元良親王は、宇多上皇の娘と結婚しているのです。
つまり、自分の妻の父であり、日本国の最高権力者である宇多上皇の后と不倫関係にあったということになります。かなり、とんでもないことをしでかしています。
しかも、それが世間にバレてしまった後に、「もうあなたに逢えず、寂しい」という手紙を送ったわけです。
スゴイな元良親王。しかも、後世の人々にこうしてネタとして語り継がれることになるとは。
あなたこそ「不倫は文化」といえます。
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