そして、トップの将軍もトホホな人ばかり。ダメ会社のダメ社長の趣があります。
代 | 将軍名 | 肖像画 | 在職期間 | 総評・トホホ度(5段階) |
1 | 足利尊氏 (たかうじ) | ![]() | 1338年〜1358年 (19年8か月) 享年54歳 | 鎌倉幕府を倒し、室町幕府を開いた立役者。しかし、その後、身内をまとめることができずに内紛続き。南北朝分裂の落とし前を子や孫に残してしまいました。 トホホ度★★★ ・『太平記』 肖像画の混乱 |
2 | 足利義詮 (よしあきら) | ![]() | 1358年〜1367年 (9年) 享年38歳 | 初代・尊氏の嫡男。古典『太平記』では、酒色に溺れた愚鈍な人物として描かれていますが、実際には軍功もあり、将軍権力を高めて次代の義満にバトンタッチしました。 トホホ度★★ |
3 | 足利義満 (よしみつ) | ![]() | 1368年〜1394年 (26年) 享年51歳 | 2代・義詮の子。南北朝合一を果たし、室町幕府を安定させた立役者。ついでに金閣寺なんかもつくっちゃう文化人で、さらには日明貿易までしちゃうビジネスマン。 トホホ度★ |
4 | 足利義持 (よしもち) | ![]() | 1394年〜1423年 (28年4か月) 享年43歳 | 3代・義満の子。義満という偉大な父との確執に苦しみながらも、堅実に政務をがんばり、室町幕府では最長の28年間将軍を務めました。 トホホ度★★ |
5 | 足利義量 (よしかず) | ![]() | 1423年〜1425年 (1年11か月) 享年19歳 | 4代・義持の嫡男。16歳で将軍に就任。生来病弱のくせに大酒飲みで、父から禁酒令が出るほど。寿命を縮めて19歳で死亡しました。 トホホ度★★★★★ |
6 | 足利義教 (よしのり) | ![]() | 1429年〜1441年 | 3代・義満の3男で、4代・義持の同母弟。くじ引きで将軍になった「くじ引き将軍」。幕府復権を目指してがんばりすぎて「恐怖政治」になり、暗殺されてしまいました。 トホホ度★★★★ |
7 | 足利義勝 (よしかつ) | ![]() | 1442年〜1443年 (8か月) 享年10歳 | 6代・義教の嫡男。管領・細川持之に担がれてわずか9歳で即位。要するに傀儡。その8か月後に享年10歳で病死。 トホホ度★★★★★(気の毒な意味で) |
8 | 足利義政 (よしまさ) | ![]() | 1449年〜 1473年 (24年8か月) 享年55歳 | 6代・義教の子で、7代・義勝の同母弟。有力守護大名や正室の日野富子に実権を奪われてからは政治に無気力になり、東山文化を開花させるものの応仁の乱を引き起こして室町幕府の弱体化を決定的にしてしまいました。 トホホ度★★★★★ ・映画・ドラマの題材になりにくい室町時代 |
9 | 足利義尚 (よしひさ) | ![]() | 1473年〜 1489年 (15年4か月) 享年25歳 | 8代・義政の次男。応仁の乱によって失墜した幕府権力を回復すべく、六角征伐などを実施して一時的に成功しますが、その後は政治に無関心になって元の木阿弥にしてしまいました。 トホホ度★★★★ |
10 | 足利義稙 (よしたね) | ![]() | 1490年〜1493年 (3年) 享年58歳 | 8代・義政の弟である義視の子。9代・義尚の死後、義政とその妻・日野富子に推挙されて即位するも、義政の死後に富子と対立。クーデター(明応の政変)によって退位させられました。しかし、ここで諦めなかったのが彼のスゴイところ。 トホホ度★★★ |
11 | 足利義澄 (よしずみ) | ![]() | 1494年〜1508年 (13年4か月) 享年32歳 | 8代・義政の異母兄である足利政知の子。前将軍・義稙が細川政元のクーデターによって追放された際に擁立されました。しかし、義稙の執念も凄く大内義興の力を頼りに上洛し、義澄は敗れて退位させられ、復帰できないまま死去します。ほとんど内紛ばかりでした。 トホホ度★★★★ |
10再 | 足利義稙 (よしたね) | ― | 1508年〜1521年 (13年6か月) 享年58歳 | 将軍に返り咲いたものの、頼りにしていた大内義興が周防国(山口県)に帰国してしまうと一気に弱体化し、管領の細川高国の力を抑えられず亡命先で死去。 トホホ度★★★★★ |
12 | 足利義晴 (よしはる) | ![]() | 1521年〜1546年 (25年) 享年40歳 | 11代・義澄の長男。細川氏の内紛をきっかけに大規模な騒乱が勃発し、何度も都を落ち延びましたが、土俵際の踏ん張りで将軍位の保持にだけは成功しました。 トホホ度★★★ |
13 | 足利義輝 (よしてる) | ![]() | 1546年〜1565年 (18年5か月) 享年30歳 | 12代・義晴の嫡男。「剣豪将軍」と称されるほどの剣の腕前で、一時的とはいえ将軍権威を復活させた政治手腕も見事でした。それだけに暗殺されたことは残念でした。 トホホ度★★ ・剣豪将軍・足利義輝 |
14 | 足利義栄 (よしひで) | ![]() | 1568年 (8か月) 享年29歳 | 足利将軍家の一族である足利義維の長男。前将軍・義輝を暗殺した三好三人衆・松永久秀によって擁立された完全な傀儡。一度も都に戻れることなく病死。 トホホ度★★★★★ |
15 | 足利義昭 (よしあき) | ![]() | 1568年〜1588年 (19年3か月) 享年61歳 | 12代・義晴の次男で13代・義輝の弟。信長に擁立されて将軍に即位。ドラマでは必ずといっていいほど暗愚な人物に描かれますが、あの戦国時代を生き抜き、足利将軍の中で最も長命(61歳)だったのは凄いと思います。 トホホ度★★★ |
ダメっぷりのまとめ
・幕府所在地の京都を追われた将軍 7人(尊氏、義詮、義稙、義澄、義晴、義輝、義昭)
・暗殺された将軍 2人(義教、義輝)
・更迭された将軍 2人3回(義稙が2度、義澄)
・幕府所在地の京都に入れなかった将軍 1人(義栄)
会社を追放される社長は、まぁいますけどね。
しかし、会社に入れない社長っています? それぐらいダメだったんです。室町幕府って。
きっと徳川家康は室町幕府のダメっぷりを反面教師として研究し、盤石な江戸幕府を築いたような気がします。
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