
筑波嶺の 峰より落つる みなの川
恋ぞつもりて 淵となりぬる
★歌意
筑波山の峰から流れ落ちる(わずかな水の)みなの川。
その水が積もり積もって(たまって)淵となるように、私の恋心も積もり積もって、淵のように深くなってしまいました。
★解説
「筑波嶺」とは、茨城県つくば市にある筑波山のことです。とはいえ筑波山に実際に行ったときの歌というわけではありません。筑波山は山頂が東西に分かれていて、それぞれ「女体山」、「男体山」と呼ばれています。こうしたこともあり、古代では男女が交際する場としてよく利用されていました。その歴史は古く、万葉集にも登場します。そのため、「恋」をテーマにした歌のときは、歌枕として織り込まれていました。

筑波山では農閑期の行事として大規模な「歌垣」(うたがき)が行われていました。「歌垣」とは近隣から多数の男女が集まって歌を交わし、舞い、踊り、性交を楽しむという習慣です。現代の感覚で見ると野蛮に見えるかもしれませんが、これは今年の豊穣を喜び祝い、さらに来年の豊穣を祈るという大事な意味がありました。
★人物
陽成天皇(ようぜいてんのう、869年〜949年)
第57代天皇。源氏の祖である第56代清和天皇の第一皇子。9歳で父・清和天皇から譲位され帝位に就きますが、当時は幼いため、父上皇、母、伯父で摂政の藤原基経が協力して政務を担っていました。しかし、父清和上皇の死後、基経との関係が悪化し、いろいろな謀略に巻き込まれてしまいます。
17歳のときに「心の病」ということで退位します。しかも、奇行が多く暴君だったとも言われていますが、基経との不和によっていろいろと歯車が狂ってしまったようです。
さて、百人一首で歌われているこの歌は、完全なラブレターです。宛てたのは、光孝天皇(百人一首15番歌)の長女・綏子(すいし)内親王です。この恋は実って、後に陽成天皇の妃となります。良かったね。
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