宮部ゆみきが、国内随一の小説家であることには異論はないと思います。
推理小説からスタートした彼女でしたが、現在ではSF、時代小説、現代小説とその才能は広がり続けています。
私は学生のときに初めて『火車』を読み、衝撃を受けてしばらく立ち直れなかった記憶があります。
ただ、ストーリーがおもしろいので、その後もいろいろな作品を読みましたが、『模倣犯』を読んでからは、
「もうこれ以上、彼女の小説は読むことはできないな」と思いました。それほど書かれている事件の内容が凄惨で、打ちのめされてしまったのです。以降、5年ぐらいはまったく読んでいませんでした。
宮部みゆきの小説には「恐怖」があります。ただ、この「恐怖」はお化けやゾンビが出てくるホラーとは異質の恐怖です。
本来、推理小説では必ず人が死にますが、小説ですからリアリティはありません。例えば、赤川次郎や西村京太郎の小説ではポンポンと人が死にますが、そこに残酷さはなく話を盛り上げるために必要な設定としてあるだけです。
しかし、宮部みゆきの小説は違います。リアリティがありすぎるのです。例えば・・・
作中の人物を調べていくうちに少しずつ明らかになる真実・・・
・実は、両親の子ではなかった・・・
・恋人の名前は本名でなく、そもそも戸籍すら存在しなかった・・・
・愛する娘が誘拐され、強姦され、バラバラになって殺された・・・
などなど。ここには赤川次郎の小説にあるような「牧歌的な殺人」がありません。
今、そこにある恐怖なのです。
「自分は平凡ながら幸せな人生を送っている」と大半の人は思って生きています。
しかし、その幸せは、ちょっとしたことでバランスを失い、破壊に向かうということを思い知らされるのです。
「もしかしたら、自分がそうなるかもしれない」、そんなことを考えたら、気が狂いそうになります。
そして、この恐怖は、作者である宮部みゆき自身の心にもダメージを与えたようです。
『楽園』のあとがきにコメントが載っています。
(『模倣犯』を手がけていた時期のこと)こちらも非常に残酷な事件が連発する大部の長編小説でしたので、精神的にかなり疲れており、だから暗い夢を見たのだろうと思いましたが・・・
作者でさえ参ってしまうのであれば、読者である私たちはなおさら衝撃を喰らうでしょう。
個人的な考えですが、宮部みゆきはある種の使命感を持って、「現代社会の闇」を書き出してきたような気がします。
ただ、「現代社会の闇」というと、何か凄く深い闇のような感じがしますので順を追って考えてみます。
ワイドショーばかり見ていると、「現代社会は病んでいる」と思い込んでしまうでしょうが、実は犯罪件数は減少傾向にあります。戦後の混乱期や70年代の安保闘争期の方がよっぽど世相は乱れており、殺人も強姦事件も多発していました。実は「現代社会は平和になってきている」のです。
しかし、現代になり犯罪の質が変化しているのは事実です。というのも、戦後の混乱期であれば、突発的な物取りなどで殺人が行われたケースが多かったと思います。そして、死体が道端に転がっているなんてこともあったでしょう。
ですが、現代社会においては、「生と死」が非常に縁遠いものになってしまいました。
例えば、戦前・戦中であれば、家で出産する方が当たり前でした。「子供がお母さんの中から出てくる」という現象を、家族は見ることができたわけです。
また、葬式も家でやるのが普通でしたから、死体というものを見る機会がありましたが、最近のように公的な葬式場では、それも縁遠くなっています。
よって、現代人は「生と死」が希薄な環境で育ちます。
この環境では「命の重さを理解しろ」というのが無理です。
現代社会で起こる殺人事件や自殺などは、この環境の変化の延長線上にあるといえます。
なぜ、自殺に追い込むまでイジメをエスカレートさせるのか?
なぜ、「ムシャクシャしたから」という理由で、無関係の人間を殺せるのか?
やはり、「命の重さ」を理解できないからでしょう。
親の教育が悪い、学校の教育が悪いといっても無意味です。なぜなら、親や教師ですら「生と死」が希薄な環境で生きてきたからです。その現実を受け入れた上で解決方法を講じなければ意味がありません。
だからこそ、宮部みゆきは凄惨な内容を小説に書いているのかもしれません。
「これが小説で良かったでしょう。頼むからこんなバカげたことをする人間が少しでも減るように、私が『生と死』を書き出しているのよ」という声が聞こえてきそうな気がします。
実際、こうした小説を読むことで「現代社会の闇」への抗体をある程度身に付けることができると思います。
ただ、ミステリー小説ばかり読むのはナンセンスです。
今は、ミステリー小説や刑事ドラマが大人気なのでそれしか目にしていない人も大勢いると思います。しかしそれでは、抗体を身に付けるどころか、闇に飲み込まれて自分が犯罪者になりかねませんので気を付けたいところです。
ところで、『楽園』は、『模倣犯』から9年後を描いた続編です。
この作品にも残酷な事件が登場しますが、それでもまだ「救い」や「希望」があります。
『模倣犯』で犯人を白日の下にさらしながらも、事件の衝撃に長く苦しんできた前畑滋子も、『楽園』でその苦しみを乗り越えました。
その他の登場人物もすべてではないながらも、苦しみを乗り越えて前へ歩き出しました。
作者である宮部みゆきも救いを見出したような気がします。
そして、読者である私たちも救われたような気がします。
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