『大旅行記5』248頁〜
スルタンがマァバル地方に向けて出立され、首都を不在にされている間に、物価の高騰が起こり、事態は次第に深刻さを増した。穀物の価格は1マンが60ディルハムにまで達し、その後さらに高騰した。状況は窮迫し、ますます悲惨な状態になった。
そうしたときに、私は宰相との接見に出かけたが、その道すがらで3人の女が数ヶ月前に死んだ馬の皮を小さく刻んで、食べているのを目撃した。そうした皮を煮て、市場で売られていた。また一般の人々は牛を屠殺したとき、その血液を取って食べた。
<中略>
状況がさらに切迫したとき、スルタンはデリーの全住民のために6ヶ月分の食料を提供するように命ぜられた。そこで法官たち、書記たちと軍司令官たちは、路地や街区を回って、住民調査を行い、各人に1日当たりの食料――マグリブ地方のラトル単位で1.5ラトルに相当する――6ヶ月分与えた。
その期間を通じて、私は、スルタン、クトブ・ウッディーンの墓廟に供えるために準備していた食料を人々に提供したので、多くの人々の命がそれによって救われた。
●解説
物価高によって食料が買えなくなり、飢えに苦しむ民衆の姿が伝わってきます。そこでスルタンは、「デリーの全住民のために6ヶ月分の食料を提供」する政策を実施します。これは政府による景気対策の原型といえます。
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