
イブン・バットゥータは、西チャガタイ・ハン国のスルタンであるタルマシリンに謁見しています。本当に多くの為政者に謁見していますね。とんでもないことです。
東洋文庫『大旅行記4』174頁〜
ある日のこと、私はいつもの習慣通りにモスクで朝の礼拝を行うために出掛けた。礼拝が終わると、住民のある人が私に、スルタン(タルマシリンのこと)がそのモスクにおられると教えてくれた。そこでスルタンが礼拝を終えて立ち上がったときに、私は彼のところに進み出て礼拝した。
そのとき、シャイフ=ハサンが、法学者フサーム・ウッディーン・アルヤーギーと一緒に立ち上がった。その二人は、私の身分のことや数日前に私が到着したことなどをスルタンに伝えた。
するとスルタンは私に向かってトルコ語で「フシュ・ミースィン・ヤフシー・ミースィン・クトルー・アユースィン」といった。「健康はどうだ?汝が来られたことは大変よろこばしいことだ」という意味である。そのときの彼は、緑色のクドスィー製の外套を羽織り、彼の頭にはそれと同じ織物の半球帽をかぶっていた。
その礼拝の後、いつも彼は自分の謁見室に戻っていくのであるが、一般の人々は彼に対してさまざまな苦情を訴えていた。彼は身分が低いものでも高いものでも、また男女誰でも苦情のあるものひとりひとりのために誠心誠意尽くすのが常である。
●時代背景
チャガタイ・ハン国は、チンギス・ハンの次男チャガタイを始祖にしていますが、彼が建国したわけではありません。
1306年、チャガタイの4代後の子孫で10代当主のドゥア(wikipedia)のときに、チャガタイ・ハン国として大きくなりました。
しかし、1326年、第15代当主のケベクが死去したときに東西に分裂してしまいます。
東チャガタイ・ハン国の初代君主はイルジギディ。
西チャガタイ・ハン国の初代君主がタルマシリンでした。
●解説

その後、サマルカンドにも訪れています。しかし、当時は内乱のため、廃墟になっていたことが『大旅行記』にも記されています。
サマルカンドの復興は、ティムール朝の首都になってからです。
英雄ティムールは、後に西チャガタイ・ハン国で生まれ、台頭してくるのです。
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ラベル:イスラム教